「ところでライナスよ、そなたに縁談を勧めたいのだが、いかがか?」

 頭を下げているライナスは、その姿勢のまま両眼を瞠った。

 王妃の笑い声がライナスの頭上を通り過ぎて部屋に響いている。

「そなたも顔くらいは見憶えておるかと思うが、我が侍女のリアーナ・アマルノだ。父親は子爵位じゃが、よう気の付く明るい娘ゆえ、強く勧めたい。陛下も賛成くださっておる」

「…………」
「ライナス?」

 ライナスは胸にやる右手をグッと掴み込んだ。

(私は判断を誤った)

 そして顔を上げた。

「少し考えさせてください」
「……わらわの勧める令嬢は不服か?」
「そうではございませんが、私は独身を通そうと考えておりましたので」
「そういえば、そのようなことを申しておったな」
「家族を持ち、子をなせば、いらぬ種を蒔くことになりかねないと」

 その言葉に空気がピンと張り詰めた。後ろの三人もそうであったし、正面の国王、そして王妃自身も息をのみ、呼吸を止めたことが容易に伝わってくる。

「しかしながら、王妃様が推挙くださるというのであれば、そういう道もあるのだと考え直す機会かと存じます。少し、お時間をいただきたく」
「そうか、ライナス、そなたは常々謙虚よの」
「すべては祖国のために」

 もう一度、礼をする。ライナスを忌々しげに王妃は睨んでいるが、もうなにも言わなかった。

「ライナス、疲れたであろう。下がって休め。アイシスも寝台で寝かせてやれ」

 国王が助け船を出すかのように口を挟み、場を収めた。ライナスはさらに一段頭を下げ、国王の私室から退出した。

「殿下、殿下、お待ちください」

 早足で歩くライナスに、セルクスが焦ったように声をかけてくる。だがライナスは無言で、セルクスを見もしない。

 アイシスの私室に到着すると、扉の前に立っている侍従が礼をした。

「殿下」
「アイシスは薬で眠っているが、間もなく目を覚ますだろう。おそらくだが、泣き喚ていて大変だと思うから、気をつけてくれ」
「泣き喚く?」
「嫌がるのを無理やり眠らせて連れ戻した」
「左様でございますか。かしこまりました。重々気をつけます。ですが、殿下」

 侍従がまだ話しているというのに、ライナスは身を翻した。

「殿下」
「私も疲れている。小言はあとで聞く」
「小言などと。殿下、こたびのこと」
「あとで聞く」
「殿下!」

 ライナスは無視して歩きだし、自室に戻った。

「私は休む。しばらく誰も通すな」

 それだけ言うと、部屋の奥のソファに向かい、崩れるように座り込んだ。そして右手で顔を覆い、深くため息をついた。

(縁談だと!? ふざけるな! 今までさんざん嫌味を言ってけん制していたくせに)

 自分に男児が産めなかったらライナスが王になる。その場合、出自が悪い娘は困る。王妃が卑賎では諸外国に示しがつかないからだ。

 だが無事に男児を産み、我が子が王に据えられたなら、勢力次第でやりにくくなるだろう。王太子はアイシスであるが、これも、まだ子どもだから誰も口にしないだけで、高位貴族の間ではアイシスが女であることは周知のことだ。

 それを王妃が知らぬはずがない。だからライナスの結婚については口うるさく注文をつけてきたのだ。ライナスはそれが鬱陶しかったから、結婚しないと言い続けてきた。それを今になって、王妃自ら縁談を用意するなど片腹痛いにもほどがある。

 脳裏にリアーナ・アマルノの顔が浮かんだ。

(娘をまんまと王妃の侍女にし、その権力を笠に着て好き放題している傲慢な親子だ。よりにもよって。……あの人をあきらめた末がこれか? バカな)

 目元を覆っていた手を離したかと思えば、いきなり立ち上がり、目の前のローテーブルに置かれているカップなどの食器を手で薙ぎ払った。食器や事務用品ガシャンガシャンと音を立てて床に転がる。さらにライナスは拳をローテーブルに叩きつけた。

「殿下!」

 遠くでローゼンとセルクスの声がする。だが、ライナスはその声に意識を向けることはなく、ただただ真っ暗な闇の中に、屈託なく笑う多希の姿を追い求めていた。

 脳内に自らの声がこだまする。

――どれほど、あなたが愛しいか。