大喜は大きく深呼吸をしてから続けた。

「タキさんはおそらく残るほうを選ぶでしょう。それでいいと思っています。私が心苦しいのは、守ると言いながらそれを果たせないことです。本当に申し訳ありません……そう言って頭を下げられてしまってなぁ。俺もこの年まで生きていて、いろんな人間を見てきたが、あんなクソ真面目なヤツは初めてだ。振られたんだからどうしようもないって言えば済むことなのに」

「…………」

「なんとも聞いたことのない国名だったが、地球の裏側だって一日もありゃあ行けるだろ。なにを悩んでいるんだ。ついて行けばいいだろうが」

「…………」

「というか、深ヤンの話じゃ、スウェーデン人だって聞いたぞ。飛行機に乗りゃあ、ひとっ飛びだろうが」

「…………」

「多希?」

 うつむく多希の肩が震えている。そしてぽとり、ぽとりと雫が落ちて、多希の手の甲で跳ねる。

「俺のことを思ってくれるのはうれしい。なんでも一生懸命の時は周りが見えないから、なにがあっても、つらくてもあまり気にならんがな、いなくなって気づくんだ。俺を見取ったあと、お前の手元になにもないことが俺はこわいんだよ」

「おじいちゃん……」

「お前のことを想ってくれる人がいる。とても大事なことだ。お前の長い人生を豊かにしてくれる大切な人が、一緒に生きたいと言ってくれている。無駄にするんじゃない」

 多希は泣きながらかぶりを振った。

「わかってる。けど、だからって、おじいちゃんを置いていけない。おじいちゃん、あの人はこの世界の人じゃないの。ついて行ったら、もうここに戻ってこられないのよ」

「なにを」

「信じてくれなくていいっ」

 多希はきつい口調で大喜の言葉を遮った。大喜が驚いて口を噤む。

「ライナスさんがスウェーデンの人ではないことも、異世界にある国の王子様だってことも、信じてくれなくていい。私はライナスさんを信じてる。だって、この一か月以上を一緒に過ごして、すごく礼儀正しくて、思いやりがあって、素晴らしい人だってわかったから」

「…………」

「王妃様に命を狙われて、王家に伝わる秘術と呼ばれる技術で逃れようとした時にうちのレンジが爆発して、共鳴を起こして、この世界に来てしまったんだろうって言ってた。その秘術は座標を定める水晶を追うけど、傍にある時に発動したらどこに飛ばされるのかわからないってことも、座標の水晶は王家の者しか持てないことも、私は信じる。ライナスさんは臣籍降下しても王家の人だから、国のために働かないといけない。私はそれを応援する。でも、一緒には行けない。もう会えない」

 その時、大喜が、ばかやろう! と怒鳴り、多希はビクリと震えた。

「なにを言ってる。迷わず行かんか。俺が死んだあと、お前は一人ぼっちだろうが。お前を残して死んじまう俺がどれほど無念か、わからねぇのか。お前は自分の人生、人のせいにする気か」

「おじいちゃん! たった一人の家族を置いてなんか行けないよ」

「人間はなぁ、自分の人生に責任を持たなければならねぇんだ。誰かのためになんて言い訳だ。お前はついて行くのが怖いんだろう。後悔することが怖いだけなんだ。すべてを捨てられるほど、ライナスさんに惚れてないんだ。それを俺のせいにするな」

「…………」

「行きたくないなら、はっきりライナスさんに、ついて行けるほど惚れちゃねぇって言え。じゃなきゃ無責任だろうが」

「おじいちゃん……」

「ライナスさんを傷つけたくないばかりに、嘘をつくんじゃねぇ。それではライナスさんだって、きっぱりあきらめられねぇだろうが。あの人は、お前がついて来ないことを察している。わかっていて告白したんだ。それは、けじめをつけたいからだ。逃げるんじゃねぇ」

 多希の目から大粒の涙が溢れて止まらない。手で口を覆いながらしゃくりあげ、呼吸がうまくできなくて、苦しくて喘ぐ。

「まっすぐ向き合ってくれる人には、まっすぐ体当たりしろ。二度と会えないんだったらなおさらだ。ライナスさんの誠意から、逃げるな」

「お、おじいちゃんの、わからず屋、私の、気持ち、ぜんぜん、わかってくれない!」

「お前だって俺の気持ちをわかってねぇだろうが。お前が俺を唯一の身内だって言うのは、俺だって同じだ。お前のことを大事にするって言う人間がいるのに、それを裂いて俺を選んで、俺は死んでお前は一人ぼっちになるんだ。多希よ、人は死ぬんだ。俺は充分に生きた。そんな俺が、お前を残して死ぬんだ。どんだけ無念だと思うんだ。どんだけ心配してると思ってんだ。ライナスさんにお前を託せたら、どんだけ安心で、幸せだと思ってんだ。俺にせいでお前の未来を失わせることが、どんだけつらいと思ってんだ!」

「それでも、おじいちゃんを置いてどこにも行けない!」

 多希は叫ぶと立ち上がり、逃げるように大喜の部屋から飛びだした。

 涙でめちゃくちゃな顔になっている。施設内にいる者たちが驚いて注目する中、スタッフたちに挨拶することもなく建物から出て、駐車場に急ぐ。車に乗り込むと、そのまま発進させた。

(おじいちゃんのバカ!)

 そう思うが、大喜の言葉が重く深く胸に突き刺さる。涙が止まらない。このままでは前が見えず事故を起こしそうだ。多希は急いで近くのコインパーキングに入った。

 一方その頃、多希の様子に驚いた施設のスタッフが、大喜の部屋を訪れていた。

「ケンカされましたか?」

 そう尋ねるスタッフに、大喜は肩を落として答えた。

「十歳若かったらって、つくづくそう思います」

 そしてそれ以降は口を開くことはなかった。