「バカンス中じゃないの? だったら一か月とか、そんな感じだろ?」

 これは窓際のテーブルに座っている前川だ。ライナスは顔をそちらにやり、穏やかな笑みを浮かべてほんのわずか頷いた。

「バカンスはバカンスですが、帰国の予定が決まっていないバカンスなので。タキさんから邪魔だから帰れと言われるまでいようかと思っています」

 だったら、と脇から深田が割って入った。

「安心だな。多希ちゃんの一人暮らしってのも、正直心配だったんだ。けど、ライナスさんとアイシスちゃんが一緒なら安全だ」
「そうだなぁ」

 と相槌を打つ声が入る。

「でも、だったらアイシスちゃんはいいのか? 国に帰って学校に行かなくても」

 前川の言葉に、一同の顔が、あっ、となった。

「当座はオンラインでの授業を受ける予定です」

 ライナスの返事に今度も一同、あっ、という顔になった。今はネットでなんでもできるから、オンライン授業でも充分だ。

「ですが、同じ年ごろの友達がいないというのもどうかと思いますので、こちらの学校に通えるかどうか確認中なんです。ただ、アイシスの第一希望はお店の手伝いなもので」

「教科書でする勉強はいつでもできる。だけど、タキのお手伝いは今しかできないから、学校には行かない」

 キッパリ言いきる姿は、七歳とは思えない凛々しさだ。さすがは王子様として育てられていただけのことはある。こういうところに人を従える特別な家柄の特異性が出るのだろう。

「そうかそうか、アイシスちゃんはハキハキしていていいな」
「手際もよかったしなぁ」

 褒められてアイシスは見るからにうれしそうだ。

 そんな会話を交わして二時間ばかりが経っただろうか。常連客たちが席を立って帰っていった。

 店の外まで出て見送ると、三人はほっと安堵の吐息をついた。そして互いを見合って笑い、手の平を合わせて喜んだ。

「急に思い立ってのプレオープンだったけど、大成功だわ」
「明日の本番を前にリハーサルができてよかった。気が楽になった」
「僕も!」
「アイシスのホットケーキはホントにおいしそうだったわよ。表面がきれいに焼けていて」

 アイシスの笑顔が一段と輝いた。

「おじいさんたちの喜ぶ顔とか言葉とか、すごくうれしかったんだ。王宮では、みんな嘘っぽくて、どんなに褒められても、喜べなかった。メルも信じたらダメだっていつも言ってたし」

 メルとはアイシスのナニーの名だ。皇太子であるアイシスに取り入ろうとする者が多いのだろう。簡単に信じるなと、教育されることは理解できる。

 だがここは二人の国でも王宮でもないし、アイシスの正体を知る者はいない。アイシスにとっては下心のない者たちであるので、言葉一つも安心できるのだろう。

「明日から頑張りましょうね!」
「ああ」
「うん!」

 三人は手を取りあい、力強く頷きあった。

「ところで」

 多希が落ち着いた口調で話題を変える。

「オンライン授業って、なに。聞いてないんだけど」

 ライナスとアイシスが互いを見合ってから多希に向き直った。

「タキさんもそうだし、私たちもネットで調べてみて、アイシスがこの国の学校に行くことは賛成なんだが。行くタイミングをもう少しあとにしたほうがいいのではないかと話していたんだ」

「どういうこと?」
「単純に、ボロが出そうな気がするもので」
「…………」

「今はなんだかんだ言ってもタキさんが見てくれているから安全だが、一人で学校に行くということはフォローができないだろう? この世界、この国のことがわからず、焦ってとんでもないことを言ってしまいそうだし、皇太子として育ったアイシスの言動は、この世界では横柄に映るのではないかと思うんだ。ただ生活するだけなら学校に行くほうが手っ取り早いだろうが、人の出入りの多い喫茶店で接客の手伝いをすれば、自然といろいろなことを身に着くと思うんだ。それは私にも言える。自動車の免許の件、もう少し生活に慣れてからにしようと思う」

 一理も二理もあって多希は言葉なく二人を見つめた。

(確かに)

「だからしばらくオンライン授業を受けているということにして、学校に通うのはもっとあとになってからにしたい。昨夜、二人でその話をしていたところで、今日話そうと思っていた。どうだろう、ダメだろうか?」

「…………」
「家にいれば、いつでも一緒に出かけられるしな」
「そうなんだよ!」

 アイシスがお願いの強いまなざしを送ってくる。多希はアイシスの肩に手を置き、口角を上げた。

「いい考えだと思います。それになにより、アイシスの気持ちが一番大切だから」
「よかった!」

 弾けるようなアイシスの笑顔が眩しかった。