話は1時間ほど前にさかのぼる。
 ガラス工房に向かう準備を整えた私は、ちょうどいい時間になるまでラティウス邸で待機していた。
 そろそろ出ようかなあなんて考えていると、唐突にジークベルトが現れる。
 なんでも、近くを通ったからちょっと寄ってみたとか。
 婚約者、それも王族がわざわざやってきてくれたのだから、先約を破ってでもお相手した方がよかったのかもしれない。
 でも、そこまで頭が回らなかった私は――

「ごめんなさい、ジーク。私、今から出かける予定があって……」

 と言い放ってしまった。
 私の言葉を受け、ジークベルトが少し目を伏せる。
 ……そんなに寂しそうにされてしまうと、申し訳ない気持ちになってしまう。

「……そっか。突然の訪問だったし、仕方ないね。ところで、どこに行くんだい?」
「えっと……前にも何度か話した、ガラス工房なんだけど」
「ああ、町に出るんだね。……僕もご一緒できたりするかな」
「え? ジークも?」
「うん。よければ一緒に連れて行って欲しいんだ。僕も自分の目で見て物を考えたいと思うし、君がお世話になっている人たちにも、挨拶をしておきたいからね」

 彼の言うことは理解できる。
 私も、自分の目で見たいと思ったから外に出たんだ。
 挨拶をしたいと思うのもおかしいことじゃない。
 でも、こちらの都合で勝手に人を増やしちゃうのはなあ……。
 どうしたものかと悩んでいると、私の左手が誰かに持ち上げられた。
 誰かって、目の前にいる彼、ジークベルトだ。
 そのまま彼の胸の前まで持っていかれ、ぎゅ、と両手で包まれる。
 そして、くりくりの黒い瞳を悲しげに揺らした彼は、声量を落として弱々しくこう言った。

「……アイナ。もう少し、君と一緒にいたいんだ」
「……っ!」

 か、可愛い……。
 男の子だってわかっているはずなのに、とびきりの美少女にお願いされている気分になってくる。
 牛乳をたっぷり入れたミルクティーみたいな色をした髪は、いつだって短く整えられている。
 服装だって、シャツの上にベストやジャケットを羽織っていることが多く、下もズボンだ。
 髪を伸ばした姿も、スカートをはいた姿だって見たことがない。
 でも……!

「アイナ……」

 きゅーん……って鳴き声が聞こえる気がした。
 女子高生だった記憶もある私からすれば、小学生にあたる年齢の彼は年下の男の子だ。
 年下の美少女みたいな子に、こんなお願いをされてしまったら……。

「いっしょに、いきましょう……」
「!」

 これはもう、負けちゃうのは仕方ない。
 ジークベルトの表情がぱあっと明るいものに変わる。今にも泣きだしそうだったのが嘘みたいだ。

「じゃあ行こうか」
「う、うん……」

 こうして婚約者の可愛さと勢いに押された私は、約束の場に王族を連れ込んでしまったのだった。
 ちなみに、お願いされたときに握られた私の左手は、馬車に乗り込むまで離してもらえなかった。