「ははっ、ばーか」


 目を細めた太一さんの笑顔に、悔しくも、胸がキュンとしてしまった。

でも、こんな気持ちもばれたくなくて、ぷんとむくれて顔を隠した。


「太一さんってば、ひどーい!」

 あたしがそういっても謝らず、そのままノートを覗き込む。

だけど、そんな姿をまた見れるということは……本当はすごく嬉しかった。



 サラリとうなだれる前髪からは、相変わらず香ばしいコーヒーの匂い。

あたしの字が連なったノートを何度も往復している大きな手。


 当たり前のようになっていた光景なのに、一瞬にして終わらせてしまったあたしの口。


 あれから、あの発言を撤回できたわけじゃない。

今のあたしと太一さんは……単なる『先生と生徒』ってことだと思う。


 付き合っているとき、いつも手をつないだりしてたわけじゃないからあまり実感が伴わない。

だけど、苦しいくらい抱きしめられたのは当の昔のような感覚だった。



 外は北風が吹き荒れる中、太一さんもあたしが問題を解いてる間に英会話の本を開いていた。



 太一さんが選んだ道を閉ざしたわけでもない。

ましてや、あたしが受験を諦めたわけでもない。




 二人が、それぞれに向かっている。

ただそれだけなんだ。



それだけなのに、胸に小さな穴が開いてるみたいだった。