それからすぐに千鶴は、桐秋がどのような桜病研究を行っていたのか南山に聞かせてもらう。

 桐秋は、近年考案された血清療法(けっせいりょうほう)を桜病の治療に応用できないかと研究していたようだ。

 血清療法は破傷風(はしょうふう)など、菌が作る病毒(びょうどく)が原因となり引き起こされる病気に対する治療法である。

 馬などの動物に、弱毒化(じゃくどくか)した毒素を少しずつ投与し、病毒に対する抗体(こうたい)を作らせ、その抗体を含んだ血清(けっせい)抗毒素血清(こうどくそけっせい)として抽出。

 それを病人に投与することで、作られた抗体が体内の病毒を無毒化、中和するというものである。

 桐秋は桜病菌(さくらびょうきん)の毒素を取り出すため、桜病菌のみを取り出し、培養する純粋培養(じゅんすいばいよう)の研究を行っていたが、
 
 その最中、桜病の罹患が発覚したため、研究中の感染が疑われているのだ。

 千鶴は早速、南山から聞いた情報を基に、研究と治療の両立を目標とした看護計画を作成する。

 先ほど南山から言われたように、桐秋が直接実験に関わることは難しいだろう。

 しかし、文献資料などを用いて、実験内容を考案することはどうだろうか。

 それができるのであれば、大学の研究室に依頼して考案した実験を実施してもらい、結果を共有してもらう。

 そうすれば桐秋は不備のあったところを改良し、次の実験計画を練れる。

 危険な実験、および終息した病のため、桜病の研究を行ってくれる研究者が大学にいるか分からない。

 でも可能性があるならば、南山に願い出るだけ願い出てみようと千鶴は決めた。

 一日の予定は六時に起床、七時に朝食、八時から九時まで診察。後、十時まで空気浴、お昼までは研究をしてもらう。

 正午から昼食、休憩を二時まで。そこから様子を見て、午後に数時間の研究も入れる。 

 無理のないように、できるだけ桐秋に研究に専念してもらえるように計画を立てていく。

 食事も、今の桐秋の体調を(かんが)みたうえで、食べやすく、なおかつ食べることが楽しみになるような食べ応えのある献立を考え直す。

 今まで普通の世界で生きてきた人間が、突如死病と診断され、隔絶された世界に放り込まれる。

 その恐怖はいかほどのものだろう。千鶴は誰よりそれを知っていたのに、まったく配慮できていなかった。

 今の千鶴が行わなければいけないのは、病を抱えている桐秋を手厚く看護し、守ることではない。

 桐秋の望みを尊重し、普通の生活により近いものを送れるよう、看護婦として補佐すること。

 特別を感じさせることは、死の恐怖を感じさせ、人を絶望させる。

 環境を整え、何気ない日常を守ることで少しでも桐秋の心を平安に導ければと思う。

 そのことを念頭におきながら看護計画を作っていると、あっという間に夜が明けていた。

 できたばかりの看護計画を、早速南山に見て貰おうと、早朝、食材など必要なものを離れに届けに来ていた女中頭に頼み、南山に面会してもらえるよう言づてを頼む。

 女中頭はそれを承諾すると、母屋に戻り、すぐに会えるよう取り計らってくれた。

 千鶴は急いで母屋に向かう。

 そこで父鶴の作った看護計画を見た南山は、医師の視点で何カ所か訂正すると、計画書どおり進めるように千鶴に指示する。

 千鶴は礼を言うと、看護計画を練る中で考えた、桐秋の考案した実験を行ってくれる人物がいないかを尋ねる。

 南山はしばし考える様子みせながらも、聞いてみようと言ってくれる、段取りがつけば千鶴に連絡をくれると言う。 

 千鶴は自身の提案が受け入れられたことに安堵する。

 そんな千鶴を見ながら、南山は少し強い口調で告げる。

「必ず、診察は受けさせること、無理はさせないこと。これは絶対だ。

 きちんと守るように君が見張っておいてくれ」

 その言葉に千鶴は力強く頷く。

 それに会心した笑みで南山も頷き返すと、最後に静かに一言付け足す。

「桐秋をたのむよ」

 それは、医者ではない、息子を想う父としての言葉。

 その想いも受け止め、千鶴は桐秋に精一杯向き合おうと決意を新たに大きく頷いた。