その日の通学路。

 私はなぜだか黒木くんと一緒にお手手を繋いで下校する状況に陥っていた。

 スキップを踏み、陽気な鼻歌を口ずさむ彼。
 にこにこと不自然なほどに上がる口角はうまく隠せずに、ピクピクと痙攣している。

 しかし私は、この上なく幸せそうな激レア黒木くんの横顔をぼんやり眺めることしかできない。
 おおよそ数十分を経ても、全くもって現実に追いつけずにいるからだ。

 (なぜ、こんなことに…?)

 疑問を脳裏で巡らせるうち、彼と出会った6年前の記憶が鮮明に蘇ってくる。


 小学4年生のクラス替えで、それまで特に仲良くさせてもらった子たち全員、離れ離れになるという結果を突きつけられた私。

 その頃は、今にも増してひどい人見知りで、教室に馴染むのにもえらく時間がかかってしまう。
 
 漠然とした焦りを感じる5月下旬のある日、私は風邪で学校をお休みしてしまった。
 夕方、しーんと静まり返った寝室の毛布にくるまる私はまどろみから目を覚ます。

 ふと、朝早くにシングルマザーである母が、心配そうに顔を歪め、

「具合悪くなったら私に電話するのよ。」

と携帯番号の書かれた付箋を手渡し、職場に出勤していく姿を思い出した。

 熱を測りながら、窓の外へ目をやると、日は半分と落ちかけ、「カーカー」とカラスが鳴いている。

 体温計の数値は、36.7。

 私は、ノートを見せてと頼めるような友人もおらず、明日の学校の授業についていけるか心配し始めた。

「ピンポーン」

 そんな時、自宅のチャイムが鳴る。

 玄関の扉を開けば、クラスで私の隣の席の彼が。
 そう、黒木蒼夜くんが、私の家までわざわざノートコピーを届けに来てくれたのだ。

 私は、驚くと同時にとても嬉しかった。

「ありがとうございます……!」

 小学生の時からすでに、見目麗しきな顔立ちだったけれども、ぶっきらぼうにも見える態度で恐れられていた黒木くん。

 心からの笑顔と感謝の気持ちを口にすると、その彼が不意に、くしゃっと温かい微笑みを見せる。
 言葉にできない寂しさに苛まれていた胸の内に、なぜだか今は顔を手のひらでおおう黒木くんの優しさがじんわり染み渡っていく。

 私が恋をする理由は、それだけで充分だった。


 彼と関わっていく内に気づいたことの一つは、黒木くんはただ不器用なだけでとても優しい人だということ。

 授業中に頭痛がして気持ち悪かった時、

「ったく、また具合悪いのかよ。」

 と私の青ざめた顔色を見てぼやくと、いきなり手を引っ張って、廊下へと連れて行かれる。
 そうして、到着したのは、保健室。

 直後には、帰りの準備のされたランドセルも手渡しに来てくれた。

 後日、小耳に挟んだ話だと彼は

「それなら、最初に挙手して先に私に教えて下さいね。」

と先生に注意を受ける羽目になってしまったらしいけど。

 
 しばらく経つと、私にも新しい友人が少なからずできてきた。
 今、同じ高校に通う大親友、壺井菜々子(つぼいななこ)様と仲良くなれたのもその時である。

 しかし、黒木くんは親の単身赴任でアメリカに行くことになり、小学五年生になる前に転校してしまった。

 勇気を出せずに、気持ちを最後まで伝えられなかったことをずっと後悔していれば、彼は中学卒業と同時にこの街に戻ってきたらしい。

 同じ高校の同じクラス、そしてまさかの同じ図書委員に立候補までしてきた。

 そんな奇跡が起こっても、いざとなると告白を渋り続ける私に、親友・菜々子様は大激励。
 それでもなお、二の足を踏んでいた私だが、ついさっきぽつりと恋心を漏らしてしまった。

 本当に、人生とは不思議なものである。

「何ぼやっとしてんだよ。」

 黒木くんは突然、私の瞳を真っ直ぐに覗き込んできた。
 教室でのあれこれが頭に浮かんだせいで赤面症の私の頬は、すぐに熟れたリンゴ色に染まってしまう。

(うう…悶え死にそう。)

 正直に言えば、彼の正体がヴァンパイアであると知った最初は、少し怖いと感じてしまっていた。
 しかし、黒木くんの普段と変わらぬ態度を見て安心。
 今はむしろ、恋愛経験0の私には糖分過多の不純異性交友に戸惑い始めている。

「……可愛いな、まったく…。」

 そして、彼がぼっそと呟いたその一言は、私の耳には届かない。