◯道路(学校からの帰り道) 5月末頃


雨の中、ゆめかが1人で傘をさして下校していると、後ろから水たまりを踏んで走る音がする。


ーーバシャバシャッ


誉「ゆめか入れて!」

ゆめかが振り向くと、誉が傘に入ってくる。
ゆめか「!橘高くん…っ」

誉はその端正な顔を歪めながら、ゆめかの代わりに傘を持つ。

誉「またその呼び方…なんで?」


ゆめかモノローグ(橘高誉は1つ年下の幼馴染)
(かっこよくて優しくて文武両道で)
(逆に足りないもの教えて?ってレベルのハイスペ男子)


(つまり)
(何もかも平凡な私とは住む世界が違いすぎるの)


ゆめかは誉の視線から逃れるように、前を向いて答える。


ゆめか「前にも言ったでしょ?もう高校生だし、普通の先輩後輩として適切な距離を保とうって」

誉「それで1人で先に帰って、苗字呼び?」

ゆめか「別に、ふつうだと思う…」

誉「俺が置き傘してないの知ってるくせに」


誉はわざとらしく責めながらも、道路を走る車の水しぶきがゆめかにかからないようにかばう。

思いがけず誉と密着してしまったゆめかは、緊張をごまかすようにわざと可愛くないことを言う。


ゆめか「傘入れてくれる子なんていっぱいいるでしょ?」

ゆめか(午後から急に降ってきたし、ほんとは気になってたけど、これも幼馴染離れのため!)

誉は苗字で呼んだ時よりも怒っているように見え、低い声で答える。

誉「いないよ」

ゆめか「…うそ。橘高くん、昔からモテるの知ってるもん。クラスでも人気なんじゃない?」

ゆめか(ああ、また可愛くない言い方…)


ゆめかが自己嫌悪していると、ゆめかの家(2人の家は隣同士)に着く。誉はゆめかと向き合って真っ直ぐと視線を合わせると、ゆめかが弱いと知っていて、捨てられた子犬のような甘えた顔でお願いをする。


誉「誉」
ゆめか「………」
誉「って前みたいに呼んで?」


ゆめか(…う、子供の頃みたいでかわいい)
(…けど、だめ)


ゆめかは頭をふるふると振って頷きそうになるのを自制する。


ゆめか(学年が違うのに名前で呼び合ったりしたら、勘違いされて誉と釣り合わないって言われるんだから)
(中学でそうだったみたいに)

ゆめか「…私は橘高くんにも、神谷先輩って呼んでほしいよ」

ゆめかがうつむいて言うと、頭上から誉の盛大なため息が聞こえる。


誉「はぁぁああ(ため息)、分かった。そっちがその気なら俺にも考えがあるから」


誉は作成変更とでもいうように、悪巧みをするように笑ったかと思うと、「風邪ひかないようにすぐ風呂入れよ。傘借りてくね」と言ってさっさと自分の家に帰っていった。


誉が後ろ姿になった時、ゆめかは今日初めてまじまじと誉を見ることができ、誉のカッターシャツが肩口から盛大に濡れていることに気づいて、自分の馬鹿さ加減と誉の優しさに何とも言えず泣きそうな表情になる。


◯学校・2-1教室(翌日の昼休み)


ゆめかが2-1の教室で友達と弁当を食べていると、教室の入口から陽キャな見た目の1年生男子(学年で上履きと名札、女子はさらにネクタイの色が異なる。男子は学ラン、1年生は赤色)がクラス全体に聞こえるように言った。


1年生男子「このクラスにゆめか先輩って人いますかー?」
クラス全体「?!」


クラスメイトたちは、何事かと突然現れた1年生のいる入口の方を見て、それから一斉にゆめかの方を見る。


一方、ゆめかはクラスの誰よりも混乱していて、箸で弁当の玉子焼きを掴んだまま、その見知らぬ1年生男子に釘付けだった。一緒に机をくっつけて弁当を食べていた友人2人も、驚いた様子でゆめかと入口の男子を見比べながら質問してくる。


ゆめか(誰?!というか、私に何の用…)
友達A「ちょっとゆめか、あの1年生知り合い?」
友達B「呼び出しって、え?まさか??」


1年生男子はクラスの視線で誰が『ゆめか先輩』かを把握したらしく、ばちっ、とゆめかと目があった。

ゆめかは混乱していたが、これ以上注目を集めたくないと思い、友達に「ちょっと行ってくるね」とだけ言い、足早に1年生男子の元へ向かう。

クラス内はゆめかの行動にざわざわしていたが、それは無視して1年生男子を教室前の廊下を少し進んだところにある階段に誘導する。


ゆめか「ここじゃ目立つから向こうで話そう」


◯2-1教室から少し離れた階段(昼休憩)

ゆめか「えっと、私に何か用かな?」

1年生男子「あ、いきなりすみません。俺、橘高の友達で高市(たかいち)って言うんですけど」

ゆめかが警戒したように話を切り出すと、高市は意外にも礼儀正しく話し始めた。


高市「あいつ今日めっちゃ具合悪そうにしてて、たぶん風邪っぽい感じなんすけど」

ゆめか「えっ」
ゆめか(昨日の雨だ…)

ゆめかはまた少しだけ泣きそうな表情をして、高市に詰め寄るように前のめりで尋ねる。

ゆめか「それで、いま橘高くんは?大丈夫なの?」

高市「はは、橘高の言ってた通りっすね」
ゆめか「?」
高市「さっき保健室連れてったとこです。いまはベッドで休んでると思います」
ゆめか「そっか、ありがとう」

ゆめかはちょっとだけ安心して、詰めていた高市から一歩下がる。
高市は、そんなゆめかを嬉しそうな目で見て話し始めた。


高市「橘高に聞いたんですよ。そんな体調悪いのになんで学校来たのかって。そしたらあいつ、何て言ったと思います?晴れなのに可愛い傘持って、『ゆめかが心配する』って。ははは、あいつほんとブレなくて」

その時のことを思い出しているのか、高市は声に出して笑っている。


高市「橘高、俺らといる時もそんな口数多いわけじゃないのに、しゃべったと思ったら半分以上はゆめか先輩の話なんですよ。だからあいつの周りの奴は“ゆめか先輩”の存在は知ってて」

ゆめかは初めて聞く学校での誉に驚く。
ゆめか(誉、友達とかクラスの話しないから…)

ゆめか「それで知らせにきてくれたの?」

高市「本人には『泣きそうな顔するから言うな』って口止めされてるんですけどね。あいつが無理したら俺らじゃ止めらんないんで、お願いしてもいいですか?」


高市は後頭部にに手をやって、眉を下げながらそう言った。

ゆめか(誉、良いお友達だね)

ゆめかは階段を降りようとしながら、振り返って笑顔で答える。

ゆめか「任せて!高市くん、教えてくれてありがとう」


高市はゆめかとは反対の廊下側に歩き出す。

高市(さっきまで泣きそうだったのに。なるほどね、橘高が譲らないわけだ)



◯保健室(昼休憩)


ゆめかは階段を降りて、一階にある保健室の扉をそっと開く。

ゆめか「失礼しまーす(小声)」

ゆめか(あれ?先生いない…)


ゆめかは周りを見回し、保健医がいないことを不思議に思いつつ、静かな室内を進んでいく。部屋の一番奥にある、カーテンで囲まれたベッドの前で声をかける。


ゆめか「橘高くん…?」
誉「…………」
ゆめか「開けてもいい?」
誉「…………」


誉からの返事はないが、がさごそと音がするし、寝返りを打つシルエットで起きていることは分かったため、ゆめかも辛抱強く待つ。

少しして、しーんとした室内に、上半身を起こした誉によって動かされたカーテンレールの音が響く。

シャーッ(カーテンを開く音)


ベッドに起き上がった誉は見るからに体調が悪く、呼吸は苦しそうで、顔は青白く、額から冷や汗が出ていた。

ゆめか「!」

ゆめかは実際に辛そうな誉を前にすると、やっぱり顔を歪めてしまい、それを見た誉は苦虫を噛み潰したような顔をした。

誉「高市あとでシめる」

ゆめかはすぐに誉をベッドに押し戻す。


ゆめか「起こしてごめん!横になってて。先生は?」

誉「母さんに連絡した後、生徒に呼ばれて行った」

ゆめか「迎えに来れそうって?」

誉「うん」

ゆめか「そっか、それなら良かった」

誉は目をつむったまま仰向けに寝て、片腕を手のひらが天井を向くように額に当てている。

ゆめかは迎えが来ると聞いて安心し、辛そうな誉の邪魔にならないよう、ベッドサイドに立ったままどうしても言いたかったことだけを言う。

ゆめか「…ごめんね」
誉「なにが?」
ゆめか「体調崩したの雨に濡れたからだよね」
誉「なんでゆめかが謝んの。傘入れてくれたじゃん」
ゆめか「橘高くんが濡れてるの気づけなかったから…」

ゆめか(変に離れようと意識しすぎちゃって…)

ゆめか「次からはちゃんとするから!……それから勝手に聞いて、来てごめん」

ゆめかはうつむいて話していたため、誉が閉じていた目を開けてゆめかを見ていたことに気づかなかった。


ゆめか「でも私が心配で勝手に来ただけで、高市くんは悪くないからね」


誉はゆめかの方に上半身を少し起こして、片腕をベッドについて身体を支えながら、ゆめかが言い終わるかどうかというタイミングでもう片方の手でゆめかの手首をそっと掴むと、優しく引き寄せた。


ゆめか「わ、えっ」


ゆめかは立っていたところから倒れこむようにベッドに飛び込んでいく。


ゆめか「き、橘高くんどうし…」

ゆめか(!)
ゆめかは誉を見上げて目が合うと、その表情に目が離せなくなる。


誉は相変わらず具合が悪そうなのに、ゆめかの手を握ったまま、しっかりとした意志でその目がゆめかを捉えていた。

ゆめか(手、熱い…)
(視線も…)

ゆめかモノローグ(誉の熱が)

誉「高市と俺は同列なわけ?それとも高市が上?」
ゆめか「え?どういう…」
誉「“高市くん”と“橘高くん”、同じじゃん。おまけにあいつのこと庇うんだ?」
ゆめか「それは…!2人とも同じ後輩だし、本当に高市くんは良い人で…っ」

誉(…うるさい。頭まわんなくなってきた)

ゆめかモノローグ(侵食するみたいに)

誉はゆめかを握る手の力を少しだけ強める。


誉「風邪、うつせたら良かったのに(小声)」

ゆめか「…え?」

誉は熱で朦朧としながらぼそっと独り言のようにそう言うと、よく聞き取れずに首をかしげて頭に「?」を浮かべているゆめかの手を持ち上げて、その手首に下からキスをする。

ゆめかは驚いて身体をびくっと跳ねさせ、自分の顔の下にある目をつむっていても端正な誉の顔を見て、何をされたのか理解し顔を赤くする。

ゆめか(な、な、なに?!)

ゆめかモノローグ(私の体温を上げる)

ゆめか「ちょ、っと、誉?!熱あるからってふざけすぎだよ…っ」

ゆめかは手を引いて誉から逃れようとするが、誉が手をしっかり掴んでいて、そうさせてくれなかった。

誉「やっと呼んだな」


ゆめかモノローグ(離れなきゃいけないのに)
(ドキドキしてる場合じゃないのに)

そう言って誉は下からのぞきこむように、色気たっぷりに笑った。

ゆめか「今のはちがくて…っ」


ゆめかモノローグ(幼馴染の平和な世界に)
(突如として)

誉「ゆめか、2人の時だけでいいから」


そう言って意識が限界に達した誉は、ぼすっとベッドに倒れこんだ。


ゆめかモノローグ(雷が落ちた)