やがて、雷雲は去り、穏やかな静寂が一行を包んだ。

 畑のあちこちからはブスブスとかすかな破裂音を響かせながら、淡い煙がゆらりと上空へと上がっている。

 ガスパルはよろよろと立ち上がり、空襲に晒されたかの如く焦げ付いた畑をゆっくりと見渡した。

 おぉ……。

 驚愕の光景を目の当たりにし、心からのため息をつきながら首を振る。天から降り注いだ膨大な肥料。驚くような豊作となるに違いない。

 ガスパルはオディールの透き通るような碧眼をのぞきこみ、優しく彼女の肩を軽く叩いて感慨深そうに言った。

「嬢ちゃんは神様の化身だよぉ……」

「いやぁ、それほどでもぉ」

 照れ隠しで頭をかくオディール。

「これなら石灰を()いて、一週間もしたら種まきだよ」

「え? 一週間?」

「そうだよ。土が落ち着くのを待つんだよ」

「えー……。二、三日になりませんかねぇ……?」

 オディールは上目づかいでお願いしてみる。食料問題はなるべく早く解決しておきたかったのだ。

 すると、ガスパルは突然不満げな顔を見せ、眼は危険なほどに閃いた。必要な日数は、彼が長年積み上げてきた経験からの鉄則で、それを動かすことなど考えられないのだ。

「バッカモーーン! いいか? 土というのは……」

 真っ赤になって杖を振り上げるガスパルだったが、どうしたことか急にピタッと固まってしまった。

 目を見開いたまま微動だにしないガスパルにレヴィアはけげんそうに声をかける。

「おい、どうしたんじゃ?」

「こ、腰が……」

 ガスパルは杖を持つ手をプルプルと震わせ、脂汗をたらりと流し始める。

「腰!? 腰かぁ……。腰はマズいぞ。どうしようかのう……」

 レヴィアの背に乗って数百キロも飛んできたことが腰に悪かったに違いない。レヴィアは眉を寄せ、オディールを見る。

 しかし、オディールも治療については門外漢でオロオロしてしまう。

「病院なんてないし、どうしよう……。あっ! 聖水で治療できないかな?」

「おぉ! 聖水か……。よし! 聖水風呂にでも入れてみようかのう。お主らちょっと手伝ってワシに乗せろ」

 レヴィアはピョンと跳び上がるとボン! と爆発音を立て上空でドラゴンに変身した。


        ◇


 すっかり冷めてしまった露天風呂だったが、レヴィアが火を入れて湯気がふたたび立ち上りはじめる。お湯をすくってみると黄金色の微粒子が舞っており、それはまるで金箔がちりばめられているようであった。一晩中ロッソの聖気を吸収した風呂は、すでに聖水へと変わっていたらしく、まさに贅を尽くした聖水風呂となっていた。

「おぉぉぉ……、これは効くぅ……」

 下着姿で慎重にゆっくりと浴槽に入れられたガスパルは、聖水の聖気を全身に浴び、恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべる。

「湯加減はどうですか?」

 少し安心したオディールはタオルを渡しながら聞いてみる。

「ここは天国かね……。聖水の風呂だなんて夢にも見たことがなかったよ」

 ガスパルは幸せそうにお湯をすくってゴクゴクと飲み始める。

「えっ!? 残り湯だから汚いよ!」

 焦るオディールだったが、ガスパルは聞かずに美味い美味いと飲み続ける。

「カァァァッ! 聖水飲み放題、ここはまさに天国じゃ!」

 ガスパルは満足そうに笑みを見せると、そのままブクブクと泡をたてながら浴槽の中に沈んでいった。

「えっ!? 溺れてる? いいの?」

 オディールは心配になってレヴィアを見るが、レヴィアは腕を組んで首をかしげている。

「この聖水風呂はもしかしたらとんでもない代物かもしれんな……」

「え? どういうこと?」

「あ奴の身体を見てみろ」

 オディールが浴槽の底に沈んでいるガスパルを見ると、ポコポコと口から泡を吐きながらかすかに黄金色に発光している。聖気が全身に満ちている証拠だった。さらに真っ白だった髪の毛も徐々に茶色に変色が進んで行く。

「こ、これは……?」

 その直後、ガスパルはザバッと水しぶきを上げながら起き上がり、ピョンと浴槽から飛び出した。髪の毛は黒々として顔に刻まれた深いシワもとれ、つやつやだった。

「ぬはははは! 完全復活だよ!」

 ガスパルは嬉しそうに笑うと、ボディビルダーのように腕を組んでムキムキっと筋肉を誇示した。

 はぁ……? へ……?

 一同は驚いた。さっきまで立つこともできなかった白髪の老人が、なんとも若々しい健康体になったのだ。二十歳は若返ってしまったのではないだろうか?

「嬢ちゃん! 決めたよ、ワシはここに住むよ!」

 ガスパルは精気みなぎる目でオディールの手を取るとブンブンと力強く振った。

「あ、そ、それはありがたいけど……」

 オディールはその勢いに圧倒される。

「ここは天国だよ、村のみんなも呼んでいいかね?」

 ガスパルは人懐っこい笑顔でオディールの顔をのぞきこむ。

「みんな? 人が増えるのは嬉しいけど、まだ畑しかないよ?」

「カッカッカ。街づくりから手伝わせればいいよ。大工も鍛冶屋もいるでよ」

「本当!? ヤッター! ぜひぜひ!」

 オディールは目を輝かせてガスパルの手をブンブンと振った。

 ガスパルの村は近年雨が降らなくなってきて作物の収量も落ち、村を出ていく人が後を絶たず、過疎化が進んでいるらしい。その中でロッソの龍脈に守られたセント・フローレスティーナはまさに理想の移住先とのことだった。

「良かったわ!」「いいですねぇ」

 ミラーナとヴォルフラムは、仲間が増える見通しに心を弾ませ、喜びに満ち溢れた表情で、パチパチと賛同の拍手を贈った。

 こうしてセント・フローレスティーナには一気に住民が流入してくることになる。オディールは、夕陽に照らされて赤く煌めき始めたロッソに向かってグッと拳を握り、いよいよ始まった花の都への本格的な挑戦に気合を入れなおした。