婚約破棄をしたとたん、セシリアには再びたくさんのお見合い話や求婚が寄せられた。
美しい公爵令嬢と結婚をしたい男はたくさんいた。
ガルとソフィアナに激怒していた両親も、部屋から出てこない愛娘セシリアを心配して早く結婚相手を作ろうと躍起になっている。

「正直、もうこりごりだわ……」

おやつのクッキーを頬張りながら、うんざりしたように呟く。机の上にはたくさんの男性からの求婚の手紙が置いてあった。
セシリアの言葉に、紅茶を入れていた使用人のマーサが苦笑した。

「お嬢様の心を癒すのは新しい婚約だと、旦那様も奥様も張り切ってらっしゃいます」
「わかっているわ。でも、なんかもう疲れてしまって……」

あの後、ガルとソフィアナの両親も謝罪に来たが、激怒したセシリアの父親が追い返していた。とんだ恥をかかされたと激しく憤慨しており、セシリアもあんな父をみたのは初めてだった。
私のために怒ってくれているのかと嬉しくなったが、実はそうでないとわかると少しばかり落胆したが……。

(きっとお父様は恥をかかされたことが悔しくて、私を早く嫁がせて全てなかったことにしたいのよね)

母とそう話しているのを聞いてしまった。
父の気持ちはわかるが、だからといってセシリアは婚約破棄したばかりですぐ次の結婚へとは乗り気になれなかった。

すると、その夜。
夕食の席で父が思い出したかのように言った。

「毎年我が公爵家が請け負っている、王宮病院の慰問会だけど今年はセシリアに行ってもらおうと思っている」
「私ですか?」

王宮病院は王宮直属の病院で、アレグレット公爵家が任されている施設の一つだ。
アレグレット公爵家は毎年、領土内にある王宮病院を慰問して医療器具や物資、ボランティアを公務として行っていた。
小さいころに何度か連れて行ってもらったが一人で行くのは初めてだ。ここ数年は兄が行っていたが、現在は他国に留学をしており行えなかった。

「セシリアももう18歳だ。成人したのだから、そろそろ公務を請け負ってほしい」
「承知いたしました。でも急ですね?」
「家に引き込まれるよりはずっといい。笑顔でボランティアをしていれば、婚約破棄をされた可哀そうな令嬢には見えん」

その言葉に眉がピクッと動く。

(なるほど。公務をすることで、私に元気アピールをさせたいのね)

父の思惑に気が付き、内心ため息をつくが断る理由などない。二つ返事で頷いた。


そして、当日。
ドレスではなく、動きやすい長いスカートに髪を束ねて物資を届けに向かった。
今までふさぎがちだったけど、今日は張り切って元気な姿を見せないといけない。慰問する方が暗い顔をしていては、患者さんは笑顔にならないとセシリアは考えた。

「セシリア様。ようこそおいでくださいました」
「こんにちは、院長。お出迎えありがとうございます」

院長や看護師の出迎えに満面の笑みで挨拶をする。
セシリアはこの出迎えが好きではなかった。自分をこうして出迎えるぐらいなら、患者さんのケアに専念してほしいと思う。

「これ、必要物資と入院中の子供たちへのプレゼントです。院内を見回ってもよろしいですか?」
「毎年ありがとうございます。ご案内いたしますね」

院長は私に丁寧に院内を説明して回ってくれる。終盤に差し掛かった時、セシリアはふと足を止めた。

「院長、あれは入院中の子供たちですか?」

中庭ではしゃぐ声が聞こえる。よく見ると子供たちが看護師と楽しそうに遊んでいるのだ。

「えぇ。看護師たちが手の空いたときに相手をしています」
「私も混ざってもよろしいでしょうか」
「ぜひ、お願いいたします。またお声がけいたしますね」

院長と離れて、中庭へ向かう。
子供たちは初めこそセシリアを警戒していたが、次第に楽しそうに声を上げ始めた。ボールを投げると笑顔で取りに行く子もいれば、あまり動けない子には膝に乗せて絵本を読んであげた。
こうした関わりは純粋に楽しかった。
セシリアが楽しそうに笑うと子供たちも笑顔になる。笑顔は病気を払う力があるのではないかと思うくらいだ。セシリアも久々に楽しむと胸のもやもやが晴れるような気がした。

看護師に言われて子供たちに飲み物を配っていると、近くのベンチから一人の男性がこちらを見ていた。足を怪我しているのか、膝下を固定しており入院している患者だと一目でわかる。
セシリアは男性にも飲み物を持っていく。

「あなたも良かったらどうぞ」
「ありがとう」

セシリアは男性に近づいて少しドキッとした。
黒髪に青い瞳。見たところ、セシリアより少し年上のようだ。立ち上がって飲み物を受け取ってくれたが、その背は高くスラッとしている。細身だがよく見ると筋肉質で鍛えているのが分かった。
そして何より、今までに見たことがないくらい整った顔立ちをしていた。綺麗な二重にスッと通った鼻筋。形のいい口元は弧を描いている。

(すごく綺麗なお顔の方ね……)

セシリアは思わず見とれてしまった。
しかしすぐにハッとして男性に座るよう促した。

「お怪我をなさっているのに、立たせてしまって申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。もうほとんど良いんです。あなたはお優しい方ですね。ほら、子供たちもよく懐いている」

広場の芝生でお茶を飲む子供たちはセシリアに手を振っていた。それにセシリアも笑顔で手を振り返す。

「えぇ、楽しんでもらえて良かったですわ。でも、中には長く入院している子もいるから可哀そう……」

セシリアは男性の隣に座って中庭の子供たちを眺める。
元気そうに見えても深刻な病気の子供もいる。病室から出られない子供もいるし、親元を離れて長く入院している子もいた。
その子たちを思うと胸が痛い。

「あなたも長く入院されているのですか?」
「いいや、俺は足の怪我で入院しただけだ。もうすぐ退院になる」
「そう、良かったですわね。あの……、どうしてお怪我を?」
「あぁ、仕事でちょっと……」

そう言われてピンときた。細身のわりに筋肉質な体格。無駄のない動き。これは……。

「もしかして騎士様ですか? 先ほど慰問で周った時、怪我で入院されるのは騎士様が多いと院長に聞きました」

ポンっと手を打つと、男性はハハッと笑顔を見せた。

「まぁ、そんなところだ。慰問ということは、あなたはアレグレット公爵家のお嬢様かな?」
「はい。セシリアと申します。今日は留学中の兄に代わって、私が慰問と物資を届けに参りました」
「なるほど。他の騎士や患者が色めきだっていたのは君が来たからだったのか」

男性は、納得したようにふむふむと頷く。

「あの、騎士様。お名前をお伺いしても?」
「あぁ、俺は……」

と言いかけて、男性は目線をセシリアの奥に向けた。セシリアがその目線をたどって振り返ると、その先で医師が男性を待っていたのだ。

「あぁ、診察の時間だ。もう行かなきゃ。セシリア、またね」
「はい。また……」

男性は杖を突きながら足早に戻って行った。その背中をぼんやりと見つめる。

(怪我が絶えないのだから、騎士様も大変なお仕事よね……)

セシリアはその背を見送ると、子供たちに呼ばれて広場へと戻って行った。

それから、時々セシリアは王宮病院のボランティアに行った。
内心、再び騎士様にまた会えるかもしれないと期待していたのだけれど、残念ながらもう会うことはなかった。

(きっと退院してしまったのね……)

少し残念な気がしたが、仕方ないと割り切った。


それから一月ほどたった頃だった。
父の書斎に呼ばれたセシリアは父から招待状を手渡された。

「なんですの、これは」
「王宮から、成人を祝うパーティーの招待状だ」
「まぁ……」

王宮は年に一回、爵位ある家の成人を迎えた子息令嬢を呼んで祝いのパーティーが開かれる。これを機に、王宮の社交界や舞踏会、その他パーティーなどに呼ばれるようになる。
セシリアも先日成人を迎えたばかりなので招待状が届いたのだ。

「ドレスを新着してはりきって行ってこい」

父はどこか嬉しそうだった。
セシリアはこっそりため息をつく。

(出会いがあるパーティーだと思って、内心喜んでいらっしゃるのね)

本音は行きたくはなかった。
成人の祝いということは同い年である、ソフィアナやガルも来ることになる。必然と会うことになるのだ。行きたくないなと思うものの、王宮主催のパーティーなのだからよほどの理由がないと断れない。
なるべく顔を合わせないように距離を取らないと……、そう思った。