一定の律動を刻みながら進む馬車の中、ティアリーゼの中で遠い記憶が呼び覚まされる。

 これは一度だけリドリスに弱音を吐いた事がある、その時の記憶。

 ミランダに別棟に移るよう提案された直後だった。
 今となっては、一人別棟で暮らす日々が気楽に感じるようになっていたが、やはり当時は別の感情を持ち合わせていた。

 自分が公爵家の家族の輪には、絶対に入れないのだと初めて理解した時の虚しさは、絶望に近かった。
 それでも表に出して仕舞えば、自分が惨めな人間だと認めしまうようで、子供ながらに感情に蓋をしていた。
 それは勿論リドリスの前でも同様だった。

 別棟に移り住むようになってから一週間後。その日は前からリドリスと二人きりのお茶会のため、ティアリーゼが王宮へ行く事が決まっていた。
 心配かけまいといつも以上、気丈に振る舞っていたが、それが逆に不自然で空元気になっていたのかもしれない。そんなティアリーゼに向けてリドリスが紡いだ言葉──

「どうしたの?立場上気持ちを口にするのは憚られるかもしれないけれど、もし今本当に辛いのなら僕の前だけは吐き出してみない?」

 言われた直後は驚いたものの、涙が一粒零れたのを皮切りに、止め処なく溢れ出した。
 糸が切れたように、止まる事のない涙と嗚咽を漏らす中、ティアリーゼの背中に優しく手が添えられる。
 その優しい温もりに励まされ、次第に今迄の事をポツリポツリと語るティアリーゼの言葉を、リドリスは最後まで黙って聞いてくれた。

「ティアリーゼ、忘れないで。僕は何があっても君の味方だから」
「リドリス殿下」
「誰が敵に回っても、世界中を敵にしてでも僕は君の味方で有り続けるから」

 家族にさえ自分の心情を口に出せなかった自分にも、味方がいる。
 それがリドリスなら、こんなにも幸せなことなどないと思えた。
 あの時は誰よりも分かり合える存在だと信じていた。

 その彼すら自分を疎ましく思うようになり、結局敵に回ってしまった。
 どうして今頃になって思い出すのだろうか。

 リドリスや王都に未練でもあるのだろうかと思案しかけて、ティアリーゼは頭を振る。

(未練なんてないわ、決して)

 心中で呟くと、すぐに思索の糸を断ち切った。