「この家はさ、ママがオレを妊娠した時に購入したんだって。中古だけどめちゃくちゃ広い家と、庭にポツンと生えてた小さい柚の木をママがえらく気に入ったらしいよ。オレの名前も柚樹って、どんだけ柚好きなんだよって話だけど」
「小さな苗木がお腹の赤ちゃんと重なって見えたのよ」と柚葉が知った風なことを言う。

「いや、木と赤ちゃんってだいぶ違うよね」
「お腹に赤ちゃんがいるとね、全ての命が愛おしく思えてくるの。誰も住んでいない家で一生懸命生きようとする柚の木ちゃんが健気で、愛おしかったのよ」

「……柚葉って妊娠とか、してないよな」
 家出の原因って、まさか……と、柚樹は、柚葉の腹部に目をやる。

「い、いないわよ!」
 柚樹の視線に気づいて、慌てて柚葉がお腹を手で隠しながら、胡散臭く笑った。

「そんなようなことを、昔君のママから聞いた気がするって話。柚の木も、柚樹も兄弟みたいにすくすく育ってほしい~みたいなー。おほほほほ」 

(始まった。柚葉のめっちゃ怪しい弁明)

「……まあ、いいや。とにかくそんな感じで、この木をママが大事にしてたから、父さんには辛いんだってさ。そのわりに、ママが死んでたった3年で母さんと再婚してさ。裏切り者~って感じだよな。ほら、柚葉も前に言ってただろ」
「そうだっけ?」

「そうだよ。ほら、最初に会った日にさ。……まあ、いいや。そんなわけで、この木の世話だけはオレが担当してるんだ。つっても、水やりとかたまに肥料やるくらいだけど」

「お母さんは?」と、柚葉が尋ねた。

 柚葉の問いに、柚樹は曖昧に笑ってみせる。

「母さんはたぶん遠慮? してるっぽい」
 柚葉はしばし間を置いて「なるほどねぇ」と、複雑な顔で頷いた。

「でもさ。去年だったかな、柚の葉が真っ黒になったことがあったんだ。『すす病』って言って、カビの一種らしいんだけど、アブラムシとかカイガラムシの排泄物を食べて増殖するんだって。オレ全然知らなくて、そのまま水やりだけ続けてたんだ。そしたらさ、なんか、木の周りがちょっと牛乳臭くなって葉っぱに白っぽいものがつくようになってさ、そのうちに柚の葉っぱが元通りになったんだ。不思議に思って、家のパソコンで『柚の葉』『黒い』『牛乳』って検索したんだ。そしたら『すす病』退治に『牛乳スプレー』が有効って記事が出てきた。しかも、その記事、文字の色が変わってて誰かが開いた形跡があるんだ。オレじゃなきゃ、母さんしかいないじゃん? 父さんは柚の木に近づけないからさ。だけど母さんに聞いたら『知らない』ってすっとぼけんだよな」

 柚樹はあの時の母さんの表情を思い出し、思わず笑ってしまった。

「母さんも嘘が下手なんだよ。そういうとこ、ちょっと柚葉と似てるかも」
「あら、私は柚樹に嘘なんかつかないわよ」と、柚葉が頬を膨らます。

「公園に朔太郎がいること、林先生から聞いて知ってただろ」
「あ、それは……」
 一瞬言葉に詰まって「バレたか」と、柚葉は舌を出した。

「逆に、あれでバレてないと思ってたのかよ」
 呆れる柚樹を見つめ「ホント、柚樹も大きくなったのねぇ」と、柚葉はため息を漏らした。