おーい。と、柚葉の声が聞こえた気がした。

(幻聴とか、ヤバくね)

 ははっ、と乾いた笑いが漏れた時「柚樹~? こっちこっちぃ~。中庭よ~」と、今度は確実に柚葉の声が言った。

 幻聴じゃない!
 柚樹は急いでママの部屋から飛び出して、リビングへ戻る。

「あ」
 よく見れば、中庭へ続く大窓が少し開いている。遮光カーテンをジャーと引っ張ると、薄暗闇の中「こっちこっち~」と柚葉が手を振っていた。

「……なんだよ、いるじゃん」
 一気に脱力する。

(よかった)と、柚樹は心底ほっとしながら、いつの間にか、柚葉の存在がとても大きなものになっていたんだな、と改めて思ったのだった。

「ほら、早く早く!!」
 無邪気に手招きする柚葉に「そんなとこで何してんだよ」と、ぶっきらぼうに言って、安心で滲んだ涙をこっそり拭ってから、柚樹はサンダルをつっかけて中庭に向かった。

 柚葉は、最初に会った日みたいに、柚の木の前に立っていた。

「ほら見てすごいの! ここ!」
「すごいって何が?」

 柚葉が青々と茂る柚の葉を両手でかきわけ「ここ見て」と顎で指し示す。
 覗き込むと黄色いころんとしたものが見えた。

「実が生ってる……」
「そう! 柚子の実が二つも生ってるの!」

 柚葉は嬉しそうに柚樹に笑いかけながら「こういうことだったのね」と呟いた。

「何が?」
「ううん、こっちの話」

「? ……にしても、実が生ってるなんて、全然気づかなかった」と柚樹も驚く。

 そういえばここ最近、赤ちゃんのこととか、学校のこととか、いろいろありすぎて、庭の水やりをさぼっていたな。

「でも今まで実なんか、つけたことなかったのに」
「初生りかもね。ちゃんと剪定すれば、もっといっぱい実をつけるようになるわよ」

「剪定かぁ。オレにできるかなぁ」と、柚樹は考え込んだ。

 剪定って確か、でっかいハサミでチョキチョキ枝を切るんだよな。
 トゲトゲなこの木を上手く切れるだろうか。

「パ……、お父さんにお願いしたら?」
「うーん」

「何かまずいことでもあるの?」
「父さんは、この木に近づけないんだよ。死んだママの思い出が強すぎて」

「そうなの?」
 うん、と頷いて、柚樹は鋭いトゲをちょんと指先でつついた。