「あのう、あなた誰ですか?」
「ああ、そうそう。それそれ。誰っていうか」
 女子高生はちょっと考えてから、ずいっと柚樹の目の前に歩み寄る。

(ち、近い)
 この人のパーソナルスペース、狭すぎだろ。

「私よ、私! 覚えてない?」と、指で自分の顔を指す女子高生。
「いや、し、知らないですけど」
 柚樹はブンブン首を振りながら一定の距離を保とうと後ずさった。

「ほら、見て! この左手の真ん中」
「?」
 柚樹の顔の前にバンと、手のひらを突き付ける女子高生。

「ここ、このちょうど真ん中にほくろがあるの。これ。ほら、ビーム! みたいな! これ、すごい特徴でしょ? 見覚えない?」
「な、ないです」

「ええ~? そうなの? 私を知らないのね。うーん、困ったなぁ」
 なんでこの人が困るんだ? 柚樹は、ますます困惑した。

「でも君、柚樹だよね」
「……はあ」

「で、中庭の柚の木が、もさもさということは……」

(柚の木?)

 なんでさっきからこの人は、柚の木を気にしているんだろう。意味不明なんだけど。

「ところで、パパとママは?」
「……と、父さんは出張に行ってます。母さんは入院してて」

「入院?」
 女子高生の顔色がサッと変わった。そしてまた、がしっと両肩を掴まれる。

「ママ、まだ入院してるの? 生きてるの? 病状は?」
「え……」

(まだって、一昨日入院したばっかだけど)
 真剣な女子高生に気圧されながら、柚樹はしどろもどろに答えた。

「母さんはもう元気で、念のため出産まで入院するって話で」
「出産~~??」
 いきなり耳元で素っ頓狂な声をあげる女子高生。

(うるせぇ)
 柚樹の耳がきぃーんと鳴っている。

「あのひん死の状態から、子供産むまでに回復したの? 九死に一生を得るとはまさにこのことね。やだ、奇跡の復活じゃない!」
「……」
 今度ははしゃいでいる。ホント、なんなんだ、この人。

(つか、九死に一生を得るって、助かる見込みのない状態からかろうじて助かる、みたいな意味じゃなかったっけ。母さんってそんなに重体じゃなかったと思うけど)

 てゆーか、『子供産むまでに回復した』って変だよな。むしろ妊娠してるせいで入院したわけで。
 微妙に会話がかみ合っていないような。

 ぴょんぴょん子供みたいにジャンプして、「すごーい」と興奮しきりな女子高生に柚樹は首を傾げた。

「やっぱりママは強しね」
(ママ?)

「あ」
 もしかして、と柚樹は気が付いた。

「もしかして、ママって、母さんのことじゃなくて、死んだママの、秋山百合子のことですか?」
「そうそう、その秋山百合……」

 頷いた女子高生の笑顔がひきつっていく。

「ごめん、今なんて?」
「秋山百合子のことですか?」

「の、ちょっと前」
 柚樹は今しがたの自分の発言を頭の中で復唱しながら、繰り返す。

「死んだママ?」

 今度は思いっきりわかりやすく、女子高生の顔がサーーーっと、マンガみたいに青ざめていった。

「あの」
「そうか、そうよね。死んじゃったんだ。そっか」

(なんだ? どうしたんだ、この人)

「あの、大丈夫、です……か」
 下を向いた女子高生に柚樹が心配しかけた途端、ぐわんとまた両肩を掴まれた。

「ちょ」
 ぐいっと顔をあげた女子高生が低い声ですごむ。

「ねえ、母さんって、誰?」
「へ?」

「どんな女?」
「はい?」

「誰なのよぉ~」

 何が何やらわからないまま、ぐわんぐわんと柚樹は揺すぶられ続けたのだった。