「なんで? 仕事は?」
 確か今、映画の撮影中じゃなかったっけ。

「全く、オレの多忙なスケジュールの合間の貴重なオフに家出するとは、つくづく兄ちゃん孝行な妹だよ」と、苦笑するお兄ちゃんに、夏目のおじいちゃんがトングと軍手を渡した。

「さて、あとはお前の兄貴に任せるぞ。寒さが腰にくるもんで、じいちゃんは退散退散」
 ニヤッと笑った夏目のおじいちゃんは、手を振りながら家の中に帰って行ってしまった。

 パチパチパチ、と、焚火の爆ぜる音が空間を埋めている。

「ま、なにはともあれ、焚火イモ食おうぜ」
 慣れた手つきで焼き芋を掘り起こしながら、お兄ちゃんは夏目のおじいちゃんと似た顔でニカっと笑ったのだった。

 ドクドクドクドクドク。
 心臓の鼓動が、耳の奥でうるさい。

 黄金色のねっとり甘いはずの焼き芋は、甘くないわけじゃないけど、味がぼやけている。
 柚葉の口の中に入った瞬間、味の大半が消えて、喉に張り付くだけの何かになってしまう気がした。

「やっぱ、焚火イモは甘いよなー」
 お兄ちゃんが美味しそうに食べているってことは、どうやら柚葉の味覚だけ、鈍っているらしい。
 極度の緊張のせいかもしれないな、と思う。

 柚葉は、焚火イモを片手に持ちながら、無意識にピーコートの胸元を握りしめていた。

 この内側を見せたら、お兄ちゃんもお母さんみたいに怒るかな。

 お兄ちゃんが怒鳴ったところはドラマでしか見たことがない。
 でも、あんな風にいろんなものを蹴り上げてお兄ちゃんに睨みつけられたら、私……

 ドクドクドクドクドク。
 上目遣いにお兄ちゃんの様子を伺う。

「あ」
 しまった。
 ばっちり目が合っちゃった。

「寒いか?」
 自分のコートを脱ごうとするお兄ちゃんに慌てて首をふる。

「全然!」
「でも」と、柚葉の手元に目をやるお兄ちゃん。

「あ」
 柚葉は握りしめていたピーコートから手を放して「違うの、これは寒いんじゃなくて」と言いかけ、言葉に詰まった。

「寒いんじゃなくて?」
 お兄ちゃんが穏やかに続きを促してくる。
 お兄ちゃんの瞳は、焚火のオレンジ色の炎みたいに、ホッとする暖かさを含んでいた。

 小さい頃のことが浮かぶ。
 柚葉は学校から帰ってくるお兄ちゃんを迎えに行くのが好きだった。

 お兄ちゃんの下校時刻が近づくと、中庭の柚の木の近くに椅子を持って行って、お兄ちゃんが返ってくるのをじっと待った。
 お兄ちゃんの姿を見つけた瞬間、嬉しくて飛び上がった。

 そうしてピュンと駆け出すのに、足が短すぎてお兄ちゃんのところに全然つかなくて、焦ってもっと速く走ろうとして、結局転んで泣いた。

 慌てて駆け付けたお兄ちゃんは「痛かったな、頑張ったな」と、優しく頭を撫でてくれたっけ。
 ちょうど、こんな風なホッとする優しい顔で。

 お兄ちゃんは「もうちょっと待ってれば、家に着くのに」って呆れてたけど、そのもうちょっとが私には待てなかったのだ。

(もうちょっとが、待てない……)

「お兄ちゃんに見て欲しいモノがあるの」

 意を決した柚葉は、お兄ちゃんの茶色い瞳を真正面から捉え、ふうと、大きく息を吐いた後、ピーコートのボタンをはずしていった。