「ゆずは、って言うんだ」
「え??」
 柚樹は思わず耳を疑った。
 今、父さん、なんて言った?

「柚樹の柚に、葉っぱの葉と書いて柚葉にしたのよ」と、母さんが補足する。
(柚樹の柚に、葉っぱの葉?)

 父さんが「じゃじゃーん」と、どこからともなく習字の半紙を取り出して広げた。力強くへたくそな父さんの癖字が目に飛び込んでくる。

『秋山 柚葉』
 確かに、そう書かれている。

『柚の木の柚と、葉っぱの葉で柚葉。私、秋山柚葉って言うの』
 頭の中で、瞳の大きな女子高生がにっこり笑っていた。

「秋山、柚葉って」
 こんな偶然があるなんて。

(偶然? それとも……)
 その時、赤ちゃんがふわぁと可愛いあくびをしながら、両手のひらをぱあっと開いた。

「!」
 左手の、ど真ん中に、ボールペンで付けたみたいな、小さな小さなほくろがぽちっと見えた。

『ここ、このちょうど真ん中にほくろがあるの。これ。ほら、ビーム! みたいな! これ、すごい特徴でしょ? 見覚えない?』
 ずいっと差し出された柚葉(中身はママだったのだけれど)の手のひらにも、同じ場所にほくろがあった。

『きっと、生まれ変わって……』
 ママの最後の言葉が浮かび、呆けた顔で赤ちゃんを凝視している柚樹を見て、父さんが不安げに声をかけてくる。

「名前、あんまりか?」
 頬に手を当て、母さんも考え込む。

「やっぱりグローバル社会だし、海外でも通じる名前の方がいいかしら。レナとか、リサとか。あとは、れん、とか、あおい、みたいなジェンダーレスネームにするとか」
「いい名前だと思ったんだけどなぁ……出生届はまだ出してないから、もう一回、三人で考え直すか」

「ダメ!」
 思わず叫んでから、柚樹はハッと口を両手で隠し、慌てて赤ちゃんを見る。
 柚樹の大声をもろともせず、赤ちゃんは気持ちよさそうにすやすや眠っていた。

 ホッと胸をなでおろした柚樹は、今度は声のボリュームを下げて、だけどめちゃくちゃ真剣に父さんと母さんに伝えた。

「柚葉がいい!! ホント、めっちゃ、超絶いい名前だよ! 柚葉以外あり得ないから! だから変更とか、ホント、マジで絶対なしだから!」
 柚樹の迫力に気圧されながら、父さんが頷く。

「そ、そうか? まあ、そんなに気に入ってくれたなら良かったよ」
「そうね。お兄ちゃんにいい名前って言われて良かったわね、柚葉」
 赤ちゃんのほっぺをちょんと触って、母さんが微笑む。お兄ちゃん、という響きがくすぐったくて。