「赤ちゃんを、殺す?」
「そう。お腹の中にいる今なら、私にはできるのよ。等価交換って知ってる?」

「とうか、こうかん?」
 耳慣れない言葉をなぞる柚樹に、「うん」と頷いたママが、何かを考えるように口元に人差し指をトントンと当てながら「つまりね」と続けた。

「何かを得るためには、同等の対価が必要って考えね。例えばお店で商品を購入するには、その商品に見合ったお金を支払うでしょ。駄菓子は十円、スナック菓子は百円、家電は数万円って感じで。私が柚樹と一緒にいるためには、柚樹にとって身近な人の命が必要なの。柚樹の妹に当たる赤ちゃんの命ならちょうどいいわね。まだ生まれる前だし取り込めると思うわ。そうしたら、赤ちゃんの代わりに私が柚樹と一緒にいられるわよ」
「でも……」

「柚樹は、赤ちゃんが死ねばいいってずっと思ってたでしょ。赤ちゃんが生まれなければ、お母さんとお父さんの愛情も今まで通り柚樹だけのもの。夏目のおじいちゃんおばあちゃんの孫も柚樹だけ。柚樹の不安も解消されるじゃない」
「それは」

 確かにずっと、赤ちゃんが生まれたら自分が愛されなくなるかもしれないと不安だった。
 でも今は……。

「なら、殺しちゃおう」
 ママが不敵な笑みを浮かべる。

「……で、でも」
 戸惑いを隠せない柚樹に「本物の母親ってね」と、構わずママは続ける。

「本物の母親っていうのはね、わが子がなにより大事なの。わが子の酷い苦しみは、どうにかして取り去ってやりたいって真剣に思うのよ」

 ママの言葉を聞いて、柚樹の頭にパっと浮かんだのは、腕から血を流して、それでも柚樹をしっかりと抱きしめた母さんだった。

「それから、わが子が病気になって熱で苦しんでいたら、本気で代わってあげたいって願うの。自分のことなんか後回しで必死に看病するわ」

 それって、オレが熱を出したときの母さんだ。

 風邪をひくと、柚樹は決まって夜中に熱が酷くなる。
 息苦しくて何度も目が覚める。
 そのたびに母さんの顔があった。
 飲み物を飲ませ、脇の下や太ももの付け根を冷やし、苦しい部分をさすって、柚樹が眠るまでずっと起きている。

 一度、夜中にどうしてもリンゴゼリーが食べたくなったときがあった。
 父さんは「朝イチで買ってきてやるからな」と言った。

 でも、熱に浮かされ何度目かの浅い眠りから覚めた時、枕元にリンゴゼリーが置いてあった。
 母さんが真夜中にコンビニまで買いに行ってくれたのだ。

 さすがに申し訳なくて、リンゴゼリーを一口食べながら「わがまま言ってごめん」と謝ったら「病人が変な気を遣わないの。リンゴゼリー食べれたことがお母さんは嬉しいんだから。食べれる時に少しでも食べると、すぐに良くなるからね。あとは安心して眠りなさい。お母さん、ずっとここにいるから」と頭を撫でてくれたっけ。

「わが子のためならなりふり構わない。それが本物の母親なのよ。母親だけじゃない。本物の父親も、本物のおじいちゃんおばあちゃんも、みんなそれぞれ、家族への深い愛情がある。お互いを思いあうのが家族。本物ってそういうものでしょ」

 柚樹の瞳を真正面に見据えながら喋るママ。その身体が、徐々に薄れていく。

 早くしないと、ママが消えてしまう。こんな時でもママは、いつものように柚樹の決断を待っていた。

 ママは、オレの本物の母親だ。
 正真正銘、オレを産んでくれた本物のお母さん。
 たくさん遊んでくれて、すごくすごく大好きだったママ。

 ママは、クラスのみんなが常識だと思っている、母親という定義そのもの。 
 ママは、オレの本物の母親。

 だけど。
 それじゃあ……
 じゃあ、母さんは?