今も詐欺屋さんは元気だねえ。 隣町の安心メールを読んでいるけど飽きないなって思う。
余程に引っかかってくれないと儲からない仕事なのに、、、。
それに捕まったら芋蔓式に吊り上げられるのに、、、。
 少し前までは現金を受け取る形が多かったよね。 今は電子マネーが増えている。
サイトの未納料金とか、会社の金を使い込んだとか、吹き掛ける言い訳も様々。
 ぼくの家にも何通か来たっけなあ。 驚いたのは国税庁の名前を使ってきたやつ。
国税庁 国民徴税課だったっけな。 笑うしか無かったよ。
その時、家に来ていたホームヘルパーは青ざめてたけどね。 そもそも国税庁が1庶民に葉書を出すかっての。
それは税務課の仕事であって官庁の仕事ではないから。
 そりゃねえ、ぼくが大企業でもやってるんなら別かもしれないよ。 でもそれにしたって国税庁は動かない。
 いつだったか、「裁判所からこんな葉書が来た。」って相談を受けたことも有る。 これもおかしな話でね。
特別、事件でもない限り裁判所が市民に葉書を送り付けることは無い。
まあ、最近は架空請求も手が込んでるから要注意なんだけどさ。
「関係無いや。」で済まされない物も有るんだよ。 架空請求をほっておいたら不在裁判で確定して請求されてしまう。
その時は出向いてはっきりと言わなきゃいけないんだ。 やってませんってね。
俺俺詐欺が冷めてきたかと思ったら今度は警察を名乗ったり弁護士を名乗ったりしてくる。
増えてきてるのは老人ホームの入権券だね。
下手に相手をすると名義貸しだ何だって付け込まれてしまう。 本当に厄介な人間が増えたもんだ。
自分たちで出来ることはやっていかないと間に合わない。

 台湾危機は相当近くに来ている。 日本政府の発表からもよく分かる。
救いなのはレールガンの洋上実験と高出力レーザー砲の実験が成功したこと。
これでひとまずは超音速ミサイルと攻撃型ドローンに対抗する手立ては整ったわけだ。
でも、このニュースを聞いたあちらさんたちはガクブルしながら研究を進めている。
弱点をなんとかして探り出そうとしてくる。 その先を行くんだ。
予想される全ての改良点を洗い出して先手を打つんだ。 それが勝負だよ。
国産の長距離ミサイルもいずれ完成する。 でもそれだってそこで終わりじゃないんだ。
潜水艦から、戦闘機から発射できるレールガンとか高出力レーザー砲とか、小さくても確実に当たるミサイルとか研究課題は無限といってもいい。
今までそれを邪魔してきたのは日本学術会議だった。
そして中国に研究者を送り込んできたのもね。
 しかし、用済みになれば容赦なく捨てるのが中国。 その時になって恨んでみても遅いんだよ。
金に目が眩んで行ってしまった自分を恥じるんだね。
 驚きのニュースが飛び込んできたね。 生保受給者がデモをやったって。
「俺たちにもっと贅沢をさせろ!」ってね。 唖然としてしまった。
裏で先導していたのはあの有名なキンキラ政党。 そんなことしかやれないのか?
確かにね、ぼくだって生保を受けてるよ。 でもそれは一時的な物。
本当なら頼りたくないさ。 資格も持ってるし働けるんだから。
一日でも早く働いて生保を返したいと思ってるよ。
ついでに言えばさ、障害基礎年金も要らないと思ってる。 「金をくれるくらいなら仕事をくれ。」って言ったくらいだからね。
 それをさ、自分たちは働かず仕事もせず、体も動かさず保護してくれなんて言うのはずうずうしいにも程が有るってもんだ。
騒ぐ暇が有るなら働けよ。 文句を言うくらいなら居なくなってくれよ。
遊んで夢を見て鱈腹美味しい物を食べて、楽をしたいんだろう?
そんな国はあの世にしか無いから。 この世は苦しいことばかりなのよ。
耐えられないならどうぞ自分で逝ってくださいな。 誰も見送らないからさ。
 生保ってね、遊ぶために支給されるお金じゃないの。 最低限の生活を保障するお金なの。
仕事を探す努力もしない。 技術を磨こうとも思わない。
怠け者に遊ばせる余裕なんて無いんだよ。 贅沢をしたかったら働きなさい。
働いたって簡単に贅沢なんか出来ないけどね。
「ウナギを食わせろ?」 「旅行をさせろ?」
そんなのは生存権でも何でもないよ。 悔しかったらガザの人たちに会ってきなさい。
食べることも飲むこともままならないんだよ。 自分たちがどれだけ優遇されているか分かるだろう。
騒ぐのであれば、行政は遠慮なく生保を打ち切ってもいいと思う。
贅沢をするために出してるわけではないから。 殴られてもバカにされてもやるべきだ。
騒ぐってことはそれだけ後ろめたいことをやってるってことなんだね?
やってなかったら騒ぐ必要は無いんだもん。

 ウロ戦争もパイ戦争もまだまだ続いている。 終わる気配が見えない。
 特にパイ戦争については深く考えなければいけないことが有る。 基準になるのはハマスの人たちも人間だっていうこと。
だから擁護しろとは言わない。 ただ殺戮は重罪だということをまず指摘しておきたい。
そのうえで何がそうさせるのかを考えなければ作戦を誤ることになるだろう。

 コーランには「従わざる者は奴隷にするか殺すべきである。」と説かれている。
つまりはキリスト教徒も仏教徒もユダヤ教徒も従わない限りは敵だということになる。
怖いことにキリスト教でも同じような個所が有る。
悪魔が殺した人間よりも神が殺した人間のほうが多いというのである。 どういうことだろうか?
問題は忠誠心だ。 忠実に教義を実行するかどうか、、、。
イスラム教徒は全員がそうかと言えば必ずしもそうではない。
友好的な人が圧倒的に多いのも事実だ。
だからこそ大多数のイスラム教徒は悩み苦しんでいると思う。
純粋であればあるほど教義を素直に利巧しようとする。
そうなると多くの人たちを奴隷にし、または殺さなければいけなくなる。
あなたはどうしますか? コーランは彼ら彼女たちにいつもそう問いかけてくる。
しかしイライラ戦争や第二次世界大戦を目の当たりにして殺戮が齎す最大の不幸と悲惨を見てきているはずだ。
過去にも十字軍遠征とか100年戦争などという不幸惨酷極まりない歴史を経て、恐怖と慚愧に慄いていることだろう。
しかし教義に背くわけにはいかない。 そういう複雑な精神的背景が有る。
だから簡単に善悪を断ち割るわけにもいかないのである。
それがイスラム社会の根本的な改革を難しくしている。
 自由主義だからと言ってそれだけを振り翳してみても何の解決にもならない。
言えうることは人が人を殺め、力で支配することは断じて悪であるということだけだ。
 確かにハマスであれヒズボラであれ、過激派と呼ばれている組織は悪には違いない。
しかしその前に純真なイスラム教徒であることを忘れてはいけない。
 釈迦はきっぱりと言い切った。 「殺という心を殺せばいいのだ。」と。
理想論でしか無いように今は思われるかもしれない。
しかし、生命主義が広まる中でそれは必ず絶対多数が支持することになるだろう。
 分けておかなければいけないのはイスラム教徒と精神病質の殺人者を一緒にしてはいけないということだ。
殺人事件は今までもこれからも無くなることは無いだろう。
ただ殺人者はあくまでも殺人者である。 きちんと処罰しなければいけない。
一人だから無期懲役だとか、複数だから死刑だとかいうルールは早期に無くすべきである。
現に江戸時代などは一人殺しても処刑されたのだから。
ぼくとしては〈目には目を〉という考え方は好きではないんだけどね。