次の日、学校。

朝練もないし、私は結構ギリギリの時間に登校する。
始業時間は8時半。クラスのみんなはもういるし、わいわいと楽しそうに喋っている。

今日はなんの変哲もない火曜日。
体育が4時間目にあるくらいで、嫌なことは他にない。

おはよー、と声をかけて自分の席に座った。後ろから2番目、一番窓側の席。
今日は晴れだから窓から入る太陽の光がちょっと眩しい。

机に教科書をしまっていると、ふと太陽の光が遮られた。
顔を上げると、恭弥が立っていた。


「杏奈、ヤマセンが今日午後残れってさ」


私は顔を引きつらせた。
ヤマセン、とは私たちの担任の先生。山本先生。担当は数学。
話が長いし、よくわからないからあんまり好きじゃない、のもあるけど。
ヤマセンに呼び出される理由がいまいちわからない。


「なんで?」
「知らねぇよ。杏奈がなんかしたんじゃねぇの」
「私、なにもしてなーーーーーー」


と言いかけて、あ、と声を出した。
・・・・多分、この間のバイト許可証のことだ。


私の学校は、バイトは許可制で、一年の夏から申請することができる。
この夏休み、特にすることもないからバイトでもしてみようかとヤマセンに申請書をもらいに行ったのだ。
一週間前に出して忘れてた。多分ヤマセンの用事はそれだ。

そして、呼び出された理由も、なんとなくわかった。
バイトの許可を出せない、と言うことだろうーーーー。

6月の中間テストで、私は赤点を取ったばかりなのだ。(恭弥にさらされたのがソレ)
『学生たるもの、勉学に励みなさい』とでも言われるのだろう。


憂鬱になり、ため息をついた。夏休みにすることがなくなってしまった。
今から部活に入るのもめんどくさいし。


すると恭弥はちょっと面白そうだ、って顔で私を見下ろす。


「悪いことでもしたの?」


その顔は口角がちょっと上がって、ムカついた。


「してないよ。多分・・・・バイト許可証のことだと思う」
「バイト?」
「夏休み、やるつもりだったんだけどーーーーーー。赤点取ったからダメって話だと思う」
「へえ」


って、なんで恭弥にこんなこと喋ってるんだろう。
案の定恭弥はニヤニヤとムカつく顔で笑ってるし。
違う用件だったらいいのになぁ、と唇を噛んでると、恭弥はふふん、という感じで言った。


「バカな奴は大変だな。勉強すれば赤点なんか取らないだろ」


うっざ・・・・・・・。

私はキッと睨みつけるけど、恭弥は気にしないふうにして席に戻った。右斜め前の席だから近い。

チャイムが鳴って、ヤマセンが入ってきた。ホームルームの始まりだ。
ヤマセンの淡々とした話をぼーっと聞いていたけど、頭の中は恭弥のムカつく声がずっと響いていた。


・・・・どうせ恭弥と違って、勉強苦手ですよ。
頭の出来が違うんだよ、多分。


なんだかモヤモヤとイライラが交互にきた。
斜め前の恭弥をチラリと見ると、頬杖をついてダルそうに座っている。
授業態度もそんなに良くないのに、なんでこんなに違うんだろう。
私の方が真面目に聞いてるのに。


◇◇◇


今日はなんかもう、散々だった。

1時間目の数学じゃあヤマセンに当てられるし。答え間違えるし。
恭弥にめっちゃ鼻で笑われれるし。

4時間目の体育じゃあサッカーボールが顔に当たるし。痛いし。
赤くなった鼻を抑えてると、恭弥に「どんくせえな」って笑われるし。

お昼休みは購買の好きなパンが売り切れててあんまり好きじゃないパンになっちゃったし。
(ちゃっかり恭弥が私の好きなパンの、最後の一個を取って行ったし。)

小さなことだけど、積み重なると腹が立つ。
ホームルームが終わって、もう帰っちゃおうとイライラして廊下を足音を立てながら歩いてると、ヤマセンに声をかけられた。

ーーーーーそうだ、
今日は呼び出しもあったんだったーーーーーーーーー



うう、と唇をかみしめて職員室に行くと、やっぱり用件はバイト許可証のこと。
赤点取ったら許可出せないって。


ーーーーうん、わかってたけどさぁ。
今日、言わなくてもいいじゃん、
今日の私はめっちゃイライラしてるのに!


眉を寄せて、はいはいとおとなしく聞いていたら、ヤマセンが言った。


「とりあえず、中間の結果は保留にしておくから。次の期末で赤点だったら許可出せないからな。頑張れよ」


ほっとしたような、でもまだむしゃくしゃしたような気持ちだった。
次の期末は二週間後だ。ぎゅっと手を握って、うつむいた。

だって数学、全然わかんないんだもん・・・・。
はい、と小声で返すと、ヤマセンはなんでもない風に言った。


「桜木と近所なんだろ? 桜木に教えてもらったらどうだ」


嫌に決まってるじゃんーーー!!!

と叫びそうになり、ごくりと唾を飲み込んだ。
恭弥に勉強を教わるなんて嫌。バカにされる未来しか思い浮かばない。


「いやでーーー」
「いいですよ」


私が嫌、と言うのに被せて、声が聞こえた。
振り返ると恭弥がいた。


「いいですよ。蓮見さんとは近所なんで」
「おう、悪いな。頼むよ」
「いえ、クラスメートのためですから」


にっこりと、どこか上辺の笑顔で恭弥は笑った。うさんくさい。
絶対心の底じゃあ、バカにできる材料ができたと思ってるはずだ。


『絶対イヤ!』なんて言いたかったけれど、ヤマセンの手前そんなことは言えなかった。
恭弥が職員室を出るタイミングを見て、私もぺこりと頭を下げて職員室を出た。



◇◇◇



「ちょっと!私、あんたに勉強教わるとかイヤなんだけど」


スタスタと教室に戻る恭弥に、私は大きめの声で話しかけた。
大股で歩いても追いつくまでちょっと大変。

廊下にはちらほら他のクラスの子達がいたけど、教室に入ると誰もいなかった。
がらんとした教室は電気が消されていてちょっと暗い。

恭弥は自分の机のカバンを持って、そのまま私に向き合った。


「イヤとか言える立場じゃないだろ」
「でも」
「バイトしたいんだったら言うこと聞いとけ、ばーか」


それを言われると、うん、と黙るしかなかった。
これからテスト期間まで、こいつに勉強教わるとか、、、。
毎日イライラするのが目に見えている。


ガツガツと恭弥の机まで行って、ばん、と叩いた。


「だったら、私をバカにすんのやめてよね」
「バカにしたこと? ないけど。俺は事実しか言ってないぜ」

蓮見サンが赤点とった、バカな子だってことくらいじゃんーーー?


なんて、見下すように笑って言った。



私はカチンとくる。
この言葉だけだったら、まだ許せたけど、今日はもうダメだった。
堪忍袋の緒が切れるってこう言うことなんだろうな。

そして、私のカバンの中の、『惚れ薬』を思い出した。



そうだ。こいつが私を散々バカにするのは、私のことが嫌いだからーーーーー



だったら、私のことを好きにさせればいいのだ。今すぐに。



もう、私は怒っていた。カンカンだった。




私の机にかかっているカバンから、小さな小瓶を取り出す。
きゅぽん、と音を立てて、瓶の栓を抜いた。

キラキラしたピンクの液体が、とろりと光った。

ーーーーーー飲ませてやる。
私を好きにさせて、もうそんな意地悪なこと言えないようにしてやるーーーーーーー



「どうした?杏奈。なんだそれ」


うっさいわ!


私は思いっきり恭弥の口に惚れ薬をぶち込んだ。



◇◇◇



ゴホッ、ゴホッ

と、恭弥が咳き込む声が響いた。
とろりとした液体は無事、全部恭弥の口に入った。
空になった小瓶を手にして、私は咳き込んだ恭弥を見下ろす。

そして、咳き込む恭弥の顔を両手で掴んで、グッと目を合わせた。

ばちり、と視線が合う。
ここから10秒、目を合わせてないといけない。


「恭弥、私を見て」


いち

「は?急になんだよ」



「いいから!」

さん

「意味わかんな・・・」

よん

(うっさいな!このチャンス逃したら意味無くなっちゃうんだから!)



「おい、杏奈。離せよ」

ろく

「・・・・・黙って見ててよ」

なな

(恭弥は黙って、私を見つめた)

はち

(恭弥の顔が、ちょっと赤くなった)


きゅう


(あと1秒・・・・)


ーーーーーーーーーーーーじゅう





「・・・・・離せよ、杏奈」


恭弥が、真っ赤な顔で、視線を逸らした。



私の手を掴んで、恥ずかしそうに、うつむく。


ーーーーーーー照れてる?みたいな



恭弥の顔が、熱い。
どくどくと、触れる手から高鳴る鼓動を感じる。

・・・・・こんな恭弥、初めて見た。


「・・・・ごめん」


私はそっと手を離した。それで、じろじろと観察する。


恭弥の顔は赤くて、ちょっと悔しそうに唇を噛んでいる。
ぎゅっと白いシャツを握って、視線を下にしてうつむく。
耳まで赤くなってる。


私は面白くなって口角が自然に上がった。




ーーーーーーー桜木恭弥は、この瞬間、私のことが、好きになった。