契約結婚。
まさかそんなドラマみたいな出来事が自分の身に降りかかってくるとは思いもよらなかった。横領の汚名を着せられ会社を追われ、住むところもなくなる私の前に現れた憧れの人は、神様みたいな提案をしてくれた。
三年間、仕事として仮の妻をしてほしい。そしてともにイタリアに渡ってほしい。

夢みたいな話。
実際、まだ現実感がないもの。


「お荷物、こちらで全部ですね。ご確認お願いします」

声をかけられ、私はハッとする。引っ越し業者の男性が書面にサインを求めている。

「あ、はい。ありがとうございます」
「それでは新しいお住まいに十四時で。よろしくお願いします」

業者の人たちは小さめの引っ越しトラックに私の荷物を満載して出発していった。窓からトラックを見送り、四年住んだ社宅の部屋を眺め渡した。
短大時代二年住んだアパートもおんぼろだったけれど、この社宅もなかなかおんぼろだった。エアコンは効きが悪く、床はあちこちみしみしいった。だけど、いざ離れるとなると寂しいものだ。

『社宅を退去しなければならないんでしたね。それなら、俺の部屋に来るのはどうでしょう。結婚するわけですし、同居も不自然ではないのでは』

契約結婚を提案された日、彼―――加賀谷さんはやや早口で言った。

『部屋は余っています。きみのプライバシーを侵すことはありませんし、家事も求めません』

妻として同居するなら、できることはするつもりだ。それを口にすると、彼はことさら硬い表情で言った。

『きみに負担をかけたくはありません。無茶なお願いに付き合ってもらうわけですから。それに、きみにも仕事はあります。語学を学んでください』

詳細はいずれと言われたけれど、確かにイタリアに行くなら現地の言葉は話せた方がいいかもしれない。半年の間にそういった勉強をするのだろうか。
ともかく、今日から始まる同居生活の中でいろいろすり合わせていこう。