「スペイン時代は独身でも問題なく仕事ができましたが」
「あの頃と今のおまえでは役職が違う。今回は一等書記官としていくんだぞ。政府高官と直接渡り合う立場だ」

確かに当時は使い走りのような仕事が多く、今のような裏まである仕事を任じられることはなかった。

「妻帯は何かと都合がいい」
「はあ」
「行けば三年は帰ってこられない。待たせるのも可哀想だろう」
「いえ、残念ながら待たせるような女性はいません」

答えながら、脳裏をよぎるひとりの女性の姿。
それは週に何度も顔を合わせるけれど、お互いのことをまったく知らない人だ。結婚相手、恋人という単語で彼女を思い浮かべるなんてどうかしている。
小枝という苗字しか知らない彼女は弁当屋の店員。そして俺はただの客でしかない。

「そうか。半年の間に誰かいい人が現れるとも限らない。そういった場合はすぐに言ってくれよ。同行の家族も調査しなければならないからな」
「わかりました」

そんなことはあり得ないだろうと思いながら俺は頭を下げた。



彼女から弁当を買うようになって四年くらいになるだろうか。
最初はたまに行く弁当屋に新しい店員が入った程度の認識だった。やがて、周囲に指示を出している姿から、彼女が新しい店舗責任者なのだとわかった。二十代になったばかりだろうか。ひとつまとめにしたダークブラウンの髪、大きな目丸い目と小さな鼻、きれいな手の形。なにより笑顔がまぶしい女の子だった。

『ありがとうございました!』

俺だけに向けられているわけじゃないのに、その笑顔に癒されるような気がして、気づいたら通っていた。