「ええと……一身上の都合といいますか……お客様にするようなお話ではなくて、ですね」

あは、と笑って必死にごまかすけれど、訳ありなのはバレているようだった。加賀谷さんの目がわずかに鋭くなる。

「次のお仕事はお決まりですか?」
「……イエ、……未定です。社員寮から引っ越さなければならないので、新しい住所が決まってからと思っていました」
「社員寮……、新しいお住まいも探すということですね」

突っ込んだ質問の数々に、彼の真意を測りかねている私。どうしてこんなところで出会ったのかもわからない上に、私の状況まで把握されているんですけれど。

「突然ですが、お願いがあります」

加賀谷さんの口調が変わった。穏やかで低い話口調から、社内会議でプレゼンでもするかのような張りのある凛々しい声になる。

「小枝さん、俺と結婚してもらえませんか?」
「は?」

突然の言葉に妙な声が出てしまった。加賀谷さんは今なんと言っただろう。私の聞き間違いだと思うのだけれど、結婚と言ったような。

「俺と結婚してほしいんです。きみにしか頼めません」
「え、ええ、と、あの、ちょっと」

やっぱり聞き間違いじゃなかった。結婚と言ったわ、この人。
でもそんなのおかしい。いくら顔見知りだからってなにも知らない女性にいきなり結婚を申し込む? 交際じゃなくて結婚?
確かに私はこの人に憧れていたし、顔が見られた日は嬉しかったりしたものだけれど……でもいきなり結婚なんて言われても……。
戸惑ってまごまごと言葉を探す私に、加賀谷さんは真剣な表情で詰め寄る。私の手をがしっと握ってこう言ったのだ。

「俺と三年間の契約結婚をし、イタリアに行きましょう」

契約結婚? イタリア? もっと突飛な単語が出てきて、脳の処理が追い付かない。
私はとうとう言葉をなくし、彼の顔をひたすらに見つめ返すのだった。