「俺はいいけれど、菊乃は嫌じゃないか?」

以前のランチでは、他の職員の夫人たちに囲まれ、学歴やライフスタイルの差に気詰まりな時間を過ごしてきた菊乃だ。無理はさせたくなかった。

「ええ。大使夫人が気遣ってくださってるのに、私が気おくれしていてはいけないでしょう。それに、私は私。お嬢様でもないし、上流の学校も出ていないけど、ありのままの私でお話してきます」

明るくそう言う菊乃は、いっそう強く美しくなったと思った。俺の妻は自立した立派な女性だ。

「菊乃なら大丈夫だな。余計な心配だった」
「心配してくれて嬉しいですよ」
「外部のリストランテを使うことになっても、大使夫人と一緒なら護衛がつく。安心して出かけておいで」

菊乃は「はい」と元気に返事をした。
久しぶりの買い物はやはり嬉しいようで、市場では積極的に店員と会話しながら買い物をしていた。菊乃が愛しい。だからこそ俺の手で守りたい。
ずっとずっと離れることなくそばにいたい。

買い物を終えマンションに戻ると、菊乃は夕食を作ってくれた。肉屋に薄切り用のスライサーがなかったため、ブロック肉を一生懸命薄切りにして生姜焼きを作った。俺は横でサラダを作る係を買って出た。

「トマトをたくさん買えて満足」
「余ったら、他の野菜と煮込むんだろう」
「ええ、保存も利くし、なんにでも合うし、便利ですよねえ」

スープをかき混ぜる彼女の横顔に、つい吸い込まれるようにキスをしていた。
こめかみへのキスに菊乃が驚いて振り返る。