無口な彼、お利口な彼女

***

ー それで、まだ付き合い続けたいって思った?


梶との会話のあとでの詩織の言葉を思い出す。


ー 返事はあえて聞かないけど。
 モヤモヤしてる未央を見続けるの嫌だから、何か一個だけ、アクション考えてきてよ。ほんのささいなことでもいいからさ。

詩織の言葉が脳内を何度も往き交う


「高橋さん」

「あ、はい!」

意識がほかへ飛んでいたところを、一緒に作業していた村松に声をかけられて我に返る。

「今日もお疲れさま。ありがとね」

「全然、こちらこそ
 村松くんのおかげで予定よりずっと早かったね。
 これ明日先生に渡したら終わりだよね?」

3組の学級委員は今日も担任から押し付けられた雑務をこなしていた。運悪く2人とも帰宅部のため、面倒臭がりの権化のような担任・酒井から何かと仕事を与えられてしまっている。

「それなんだけどさー、今から渡して帰っちゃいたいんだよね。酒井先生、今日も部活動で体育館いるでしょ。帰り支度して寄って、結果のプリントとこことここの修正点だけ口頭で伝えて、そのまま帰らない?」

少しこだわりを感じる提案が、村松らしい。
今日できることは今日やる、明日に残さない、が彼の基本姿勢である。この数ヶ月間で未央にもわかってきた。


なお体育館は学校を裏門から出るときの通り道にある。未央は高校の最寄り駅から徒歩通学なので、いつも体育館脇を通り過ぎる際にバスケ部の様子、もとい淳平の姿をほんの少しだけ目で追ってから帰る。部活のない日、淳平と一緒に帰るときは裏門付近で待ち合わせる。
村松の言葉と、未央が毎日密かに胸を躍らせていることがリンクして、つい上がりそうになる口角を抑えて未央は返答した。

「んーそれもいいね、明日に残さないほうがスッキリするし」

「やった!俺、自転車取ってくるから西棟の体育館側の出口で待っててくれる?」

「うん、わかった」

(村松くんといっしょなら、今日はあんまり眺められないかなぁ)

そんなことを考えながら、体育館へ続く西棟を歩く。

未央たちの友人には自転車通学者が多いのだが、駐輪場は体育館から校舎を経た正門側にあるため、彼らと鉢合わせることはあまりない。裏門側は駅には若干近いが、コンビニやカラオケ等の娯楽施設やバス停は正門側にあるため、大多数の生徒は正門へ流れ、裏門は比較的閑散としている。

体育館からシューズの底が擦れる音、ボールをつく音、掛け声が近づいてくる。
体育館の入り口から顔をのぞかせ、目当ての酒井先生を探していると、ふと見知った顔が近づいてくるのに気づいた。淳平だ。普段未央を見つけてもほとんどリアクションしない彼だが、今日は練習着で汗を拭いながらずんずんと近づいてきて目の前で止まった。付き合っていることは喧伝はしていないが別に隠しているわけでもない、しかし大衆の前で2人きりの姿を晒すことはほとんどなかったため、未央は恥ずかしさで視界が狭くなるのを感じた。自意識過剰かもしれないが、体育館のあちこちから視線が集まっている気がする。

「今日、サカセンが予定あるから早く切り上げろって。」

未央の目の前に着くと淳平は端的に状況を伝えた。

「えっ? あ、じゃあもう帰れるの」

「ん。未央はなんかある?」

「ない!.....あっ」

未央はカバンの中のこれから提出予定の資料と村松との約束を思い出した。さっそく村松に伝えなければと振り返りかけたが、思い止まる。つい先日淳平との関係を濁した手前、2人で帰るのだというのはさすがに気まずい。淳平にもどう説明したものか...

「あのね、酒井先生に渡すプリントあって...とりあえず、淳平、着替えたらこの近くで待っててくれる?あと、委員長にも伝えとかなきゃ」

「おう」

未央は淳平から酒井の所在を聞き出して、準備室付近へ走り、本人に出会うなり押し付けるようにプリントを提出した。

「お〜さすが2人、賢いから早いなぁ!
 ありがとなぁ」

呑気に謝意を伝える酒井に、半ば被せるように連絡事項を伝え、言い切ると「それでは!」と踵を返した。

後ろから「え〜っと..」と、やっと冒頭に目を通し始めた声が聞こえてきたが、未央にしては珍しく、構わずに走った。西棟を通り抜る途中、自転車を押して裏門に向かう村松をつかまえた。

「どうしたの?高橋さん」

「...ごめん!村松くん!
 その、ちょっと予定ができちゃって、先生も、今日はもうすぐ帰っちゃうんだって。
 それで私....ひとりで先に渡してきちゃった」

「あっそうなんだ、それでこっちまで走ってきたの?」

「そう。勝手なことしてごめんね。
 先生、さすが早いなぁって驚いてたよ」

「え?ふふ、そっか、ありがと」

「......じゃ、私」

「えっと!
 俺ここまできたし、今日は裏門から帰ろっかな」

「私はちょっと、さっき3組の子と立ち話しちゃって...もう少し、話そうかなって」

「あ〜...そっか!
 じゃあ、また明日ね!」

「うん、またね」

我ながら苦しい言い訳になってしまい、内心村松に深謝した。
一方で既に意識は半分ほど、このあとの帰路、淳平と過ごせることのほうに向いていた。

(テスト期間はもう少し先なのに、嬉しい...!)

途中、西棟のトイレに寄り、前髪と弾んだ息を整える。
トイレを出ると、廊下の先に着替えを終え、スマホを眺める淳平の姿が見えた。

「お待たせ」

「ん」

短い返事とともにチラっと目を合わせるだけで、すぐに歩き始める。
いつもそうだ。少しさみしい反面、この無骨さが他の女子を遠ざけてることを未央は知っている。さらに、これが彼の素であり、不器用な会話を通して、見た目以上に彼が相手を思い遣っていることも。その2つを心の支えとしてこれまで過ごしてきたのだから。

「酒井先生、何の用事だろうね」

「3年の手伝いとか言ってた」

「ってことはまた小笠原先生のヘルプかな」

「かもな」

「酒井先生いないとバスケ部は練習やれないの?」

「いや、今日は3年の先輩とか、戸川とかも来れなくて、人不足。普段はやる」

「ああ、戸川先生も、奥さんの体調が悪いんだっけ」

「うん」

西日に包まれて、淳平の表情が気持ち普段より柔らかに見える。この時間、この距離で彼を独占できるのは彼女の特権である。幸福感に満たされ、これ以上は望まないと思う。明日からも頑張ろう、と。
そのときふと、詩織の言葉がよみがえった。


ー それで、まだ付き合い続けたいって思った?
ー なにか一個だけ、アクション考えてきてよ

(一緒にいない時間、私はずっとぐずぐずモヤモヤしてるんだよな)

「淳平」

返事の代わりにこちらを見つめる目と、モロに視線がぶつかる。

「今日.....テスト期間じゃないのに、一緒に帰れてすっごく嬉しい」

嘘偽りない気持ちは、文章にするとバカみたいにシンプルである。未央はそう言ったっきり次の言葉が続かず、自分の顔がみるみる赤らんでくるのを感じた。
淳平もさすがに当惑している。夕日でわかりにくいがほんのり色付いている気がする。

「......えっと、なんかあった?」

「淳平」

「おう」

「手、を、繋ぎませんか?」

2〜3拍ほど間が空いたが、はっと気づいた淳平が、差し出された未央の右手をぎゅっと握った。鼓動が早くなる。ごつごつしていてあたたかい、大きな手のひら。握り直すささいな動きでビクついてしまう。

どちらからともなく、再び歩き出した。始まりはぎこちなかったが、次第に、手を繋ぐ前と同じ自然な歩調を取り戻していく。
未央は嬉しさと恥ずかしさで頭から湯気が出そうだったが、必死に気持ちを落ち着かせた。まだこれだけでは終わらない。言葉抜きで、態度で満足していたら、何も進歩がないではないか。幸い淳平も、おそらく虚を突かれたからであろうが無言のまま歩いている。この行動と結びつけて会話するには今しかない。

「あのさ、淳平
 もういっこ、思い切ってきいてもいいかな?」

「.....何?」

「その、淳平が昔から口数少ないの知ってる。
 けど、もう少し会話がしたいなって。」

「会話...」

「そう。
 情報の交換じゃなくて、淳平の気持ちを。
 言葉にしてほしい。
 私たち、小さい頃からずっと一緒にいるから、色々、コミュニケーションを省いてるところがある気がする。
 今の関係が淳平には居心地いいのかもしれない。もしそうだったら、期待に添えなくてごめん。
 でも、それでも私は、今よりもっと話したい。

 つまんないことでもいいから、何かの事実よりも淳平の気持ちをききたい」

未央は喋りながら、これは一度に押しすぎたんじゃないか?引かれないか?“言葉にしろ”だなんで抽象的すぎないか?とさまざまな不安が頭の中に湧いてきたが、半ばヤケクソで言い切ってしまった。
言い終わって、相手を恐る恐る見上げる。耳が赤い。

(ああまた私は、視覚から彼を受け取っている)

不安と期待がないまぜになってもうお腹いっぱいだ。
ふと淳平が歩みを止めてこちらを見た。長年の付き合いだからわかるが、とても驚いたときの表情をしている。

「..んと、ごめん」

淳平は何度か口を開きかけてはやめてを繰り返し、最後にボソリと「難しいな」とこぼした。

「その、全然、耳触りのいい言葉じゃなくていいんだよ?」

あまりにも淳平が苦戦しているのを見て未央がフォローを入れると、ぎりぎり聞き取れないくらいの声量でボソボソと二、三呟いた後、意を決したように未央を見据えた。

「..い」

「い?」

「今までで、何が伝わってて、何が伝わってないのか、知りたい...かな.....
 この期に及んで、悪いけど。」

「そ...それもそうだよね、
 急に言われても困るよね。ごめん」

「いや、別に困らない。
 なんつーか。未央が謝るのはちがうから」

「...そうかな」

「うん。
 未央がいいって言うんなら大体それが正しいし。
 俺も期待に応えたい。」

「...。」

「ただすぐには難しいから、アシストほしい。
 言葉足りないとき、教えて?
 まずはそれが一番取りこぼしがないだろうから..」


淳平の表情には未だ、唐突な告白による動揺の色が残るものの、その真摯な目はまっすぐに未央を捉えている。

未央はとめどなく湧き起こってくる感情を押されきれなかった。やっとスタートラインに立てた、そんな気がした。鼻の奥がツンとした後みるみる視界が滲み、表出したそれでますます動揺する淳平の顔を霞ませていった。