***
「いやほんと、デリカシーないやつでごめん!
酒井先生には、お願いするなら同性のがいいんじゃないかって伝えたんだけどね」
「そんなことないよ村松くん、ありがとう」
教室から持ってきた未央の荷物をベッド脇の机に起きながら、村松は言った。
未央はベッドから降りて、身なりを整えながら応える。今になって気付いたが、上下体操服にジャージの上着を引っ掛けた状態で横になっていたらしい。体育館から運ばれたときのままの状態なのだから当然だが、目の前のパリッとした白シャツに着替えている村松と対峙すると、なんだかだらしないようで恥ずかしくなった。
「荷物重たかったよね?
どれ持ってっていいかもわかんなかっただろうし..ごめんね」
「それは全然!
調子はどう?打ったのが頭だから、一晩は用心しておかないと。家の人にも伝えとかないといけないよ」
「...村松くん、嶋田先生と全く同じこと言ってる」
最初は噛み合わなかった視線が徐々に絡まり合い、お互いに笑い合った。
村松は頭が良いだけあって、会話が上手い。相手の負担を最小限に抑えた問いかけをする。それでいて欲しい答えを最短のラリーで手にいれる。会話の達人だ。未央はそれを常々実感している。村松の質問に答えているうちに、自分でも気づいていなかった本音に辿り着くことさえある。
淳平とは違う居心地の良さに未央は気づいていた。
荷物を受け取り、さあどうしようかと思いつくかつかないかのタイミングで、今度はしっかりと未央の目を見て村松は言った。
「...高橋さんがよければ、駅まで送らせて」
未央の中に、懐かしいような新鮮な気持ちが湧き起こった。嬉しいようなむず痒いような。
ちょうどその瞬間、スマホが振動した。
画面を見なくてもわかる。淳平だ。
『部室でた
教室でいい?』
先の村松の提案とあわせてとんでもない事態になってしまったと、未央は思わず目が泳いでしまう。
「村松くん、あの....」
「...もしかして、もう先約があるかな?」
「...うん、でも」
「...なんかごめんね!
慌ててるの、すごく伝わってくる」
優しく微笑みながら村松が歩を進める。
「それだけ大切なんだね、彼との関係が。
さっきから一方的にごめん。
でも、実は僕にとっても、高橋さんってすごく大切」
目の前の完璧な人間が、自分に向かって物悲しいような憧憬の表情をしていることに未央は戸惑った。
「えっ、そ... 私も。村松くんは大切だよ、もちろん。」
村松はもうすぐ目の前にいる。まるで目を合わせられる状態でない未央は、彼の胸元、第二ボタンあたりを見ながら言った。一方で村松からは全く動揺の色は窺えない。スローモーションで彼の左腕が上がる。
「まつ毛、ついてる」
彼の手のひらが未央の頬に近づく
(まって..)
自然すぎるスピード、距離感、拒めない。
それに..
「なにやってんの、松村」
目の前の端正な顔からすうっと色味が引いていく。
普段あんなに柔和な村松が、一瞬見たこともないほど冷酷に映った。
村松が振り返った先、保健室の扉を開けた淳平が立っていた。こちらも同じく険しい表情をしている。未央が一瞬自分に向けられているのではとたじろぐくらい、不満を全面に滲ませている。
「1組の神木くん、だよね
ーぼく、“村松”です。覚えててくれるとうれしいな」
「あっそ」
淳平の不躾な態度と、声色から感じる村松の張り付いた笑顔の攻防に、未央には取り入る隙が全くなかった。
普段通りの笑顔に戻った村松は、そつなく自分の荷物を手に取ると「また明日ね」とあっという間に保健室を後にした。
しばらくは村松の足音だけが室内に響いていた。閉まった扉を睨む淳平と、いろいろと頭が追いついていない様子の未央。先に口を開いたのは淳平だった。
「さっき飯田に聞いた。怪我したんだろ。大丈夫か?」
「あ、うん、それは大丈夫」
「"それは"?」
「.........む、村松くんは、まつ毛とってくれようとしてただけだよ」
「...」
未央は自分でもなぜ村松の肩を持っているのかわからなかった。あの時の状況を否定したかったのかもしれない。それにまさか、付き合い上手で、頭が良くて、人望も厚い、あの村松が..。
元々、淳平と付き合っていることを言い出せず、村松になんと言って誤魔化そうかと悩んでいたはずが、今はそのことはすっかり頭から抜けていた。悩みのベクトルが変わっていた。
一方で、淳平も淳平で混乱していた。村松と未央がふたりきりのシチュエーションは今までも幾度となくあった。しかしながら今回のような空気感だと知っていたならきっと自分は了承していなかったはずだ。
委員会活動はこんなに距離を詰めてやるものなのか?あいつ今、未央の頬に触れていなかったか?
なにより、今の未央の顔は?まるで自分が村松を貶めたかのような、敵対する相手を見るような目は何なんだ。胸中に渦巻く憤りと悲しみは、淳平の語彙ではとてもじゃないが表現できないスケールにまで膨れ上がっていた。
「じゃあ俺も」
さっきからずっとベッド脇に立ちすくんでいる未央のもとに、淳平が歩み寄る。
村松は未央よりひとまわり体が大きく、淳平はそれよりもさらに拳ひとつ分ほど上背がある。肩幅などの体格も良い。未央から見て、自ずと先ほどよりもずっと威圧感があった。
大きな左の手のひらが未央の頬をすっぽり包んだ。温かいが、顔は依然険しいままだ。
「まつ毛取るから。じっとしてろ」
未央は生まれて初めて、淳平に『見限られるかもしれない』以外の恐れを抱いた。目の前にいるのは、優しくて友達や家族思いである一方で、身体が大きく、フィジカルでは太刀打ちできない男性なのだ。思わずギュッと目を瞑った。
その瞬間、唇に感触があった。温かい息の気配が間近でした。淳平の匂いがする。
そっと目を開けると、彼の顔が離れていくところだった。視線は合わない。表情は読み取れないが、雰囲気から察するに先程と変わらず険しいままに違いない。
鼻の奥がツンとしたが、もはや涙は出なかった。
「いやほんと、デリカシーないやつでごめん!
酒井先生には、お願いするなら同性のがいいんじゃないかって伝えたんだけどね」
「そんなことないよ村松くん、ありがとう」
教室から持ってきた未央の荷物をベッド脇の机に起きながら、村松は言った。
未央はベッドから降りて、身なりを整えながら応える。今になって気付いたが、上下体操服にジャージの上着を引っ掛けた状態で横になっていたらしい。体育館から運ばれたときのままの状態なのだから当然だが、目の前のパリッとした白シャツに着替えている村松と対峙すると、なんだかだらしないようで恥ずかしくなった。
「荷物重たかったよね?
どれ持ってっていいかもわかんなかっただろうし..ごめんね」
「それは全然!
調子はどう?打ったのが頭だから、一晩は用心しておかないと。家の人にも伝えとかないといけないよ」
「...村松くん、嶋田先生と全く同じこと言ってる」
最初は噛み合わなかった視線が徐々に絡まり合い、お互いに笑い合った。
村松は頭が良いだけあって、会話が上手い。相手の負担を最小限に抑えた問いかけをする。それでいて欲しい答えを最短のラリーで手にいれる。会話の達人だ。未央はそれを常々実感している。村松の質問に答えているうちに、自分でも気づいていなかった本音に辿り着くことさえある。
淳平とは違う居心地の良さに未央は気づいていた。
荷物を受け取り、さあどうしようかと思いつくかつかないかのタイミングで、今度はしっかりと未央の目を見て村松は言った。
「...高橋さんがよければ、駅まで送らせて」
未央の中に、懐かしいような新鮮な気持ちが湧き起こった。嬉しいようなむず痒いような。
ちょうどその瞬間、スマホが振動した。
画面を見なくてもわかる。淳平だ。
『部室でた
教室でいい?』
先の村松の提案とあわせてとんでもない事態になってしまったと、未央は思わず目が泳いでしまう。
「村松くん、あの....」
「...もしかして、もう先約があるかな?」
「...うん、でも」
「...なんかごめんね!
慌ててるの、すごく伝わってくる」
優しく微笑みながら村松が歩を進める。
「それだけ大切なんだね、彼との関係が。
さっきから一方的にごめん。
でも、実は僕にとっても、高橋さんってすごく大切」
目の前の完璧な人間が、自分に向かって物悲しいような憧憬の表情をしていることに未央は戸惑った。
「えっ、そ... 私も。村松くんは大切だよ、もちろん。」
村松はもうすぐ目の前にいる。まるで目を合わせられる状態でない未央は、彼の胸元、第二ボタンあたりを見ながら言った。一方で村松からは全く動揺の色は窺えない。スローモーションで彼の左腕が上がる。
「まつ毛、ついてる」
彼の手のひらが未央の頬に近づく
(まって..)
自然すぎるスピード、距離感、拒めない。
それに..
「なにやってんの、松村」
目の前の端正な顔からすうっと色味が引いていく。
普段あんなに柔和な村松が、一瞬見たこともないほど冷酷に映った。
村松が振り返った先、保健室の扉を開けた淳平が立っていた。こちらも同じく険しい表情をしている。未央が一瞬自分に向けられているのではとたじろぐくらい、不満を全面に滲ませている。
「1組の神木くん、だよね
ーぼく、“村松”です。覚えててくれるとうれしいな」
「あっそ」
淳平の不躾な態度と、声色から感じる村松の張り付いた笑顔の攻防に、未央には取り入る隙が全くなかった。
普段通りの笑顔に戻った村松は、そつなく自分の荷物を手に取ると「また明日ね」とあっという間に保健室を後にした。
しばらくは村松の足音だけが室内に響いていた。閉まった扉を睨む淳平と、いろいろと頭が追いついていない様子の未央。先に口を開いたのは淳平だった。
「さっき飯田に聞いた。怪我したんだろ。大丈夫か?」
「あ、うん、それは大丈夫」
「"それは"?」
「.........む、村松くんは、まつ毛とってくれようとしてただけだよ」
「...」
未央は自分でもなぜ村松の肩を持っているのかわからなかった。あの時の状況を否定したかったのかもしれない。それにまさか、付き合い上手で、頭が良くて、人望も厚い、あの村松が..。
元々、淳平と付き合っていることを言い出せず、村松になんと言って誤魔化そうかと悩んでいたはずが、今はそのことはすっかり頭から抜けていた。悩みのベクトルが変わっていた。
一方で、淳平も淳平で混乱していた。村松と未央がふたりきりのシチュエーションは今までも幾度となくあった。しかしながら今回のような空気感だと知っていたならきっと自分は了承していなかったはずだ。
委員会活動はこんなに距離を詰めてやるものなのか?あいつ今、未央の頬に触れていなかったか?
なにより、今の未央の顔は?まるで自分が村松を貶めたかのような、敵対する相手を見るような目は何なんだ。胸中に渦巻く憤りと悲しみは、淳平の語彙ではとてもじゃないが表現できないスケールにまで膨れ上がっていた。
「じゃあ俺も」
さっきからずっとベッド脇に立ちすくんでいる未央のもとに、淳平が歩み寄る。
村松は未央よりひとまわり体が大きく、淳平はそれよりもさらに拳ひとつ分ほど上背がある。肩幅などの体格も良い。未央から見て、自ずと先ほどよりもずっと威圧感があった。
大きな左の手のひらが未央の頬をすっぽり包んだ。温かいが、顔は依然険しいままだ。
「まつ毛取るから。じっとしてろ」
未央は生まれて初めて、淳平に『見限られるかもしれない』以外の恐れを抱いた。目の前にいるのは、優しくて友達や家族思いである一方で、身体が大きく、フィジカルでは太刀打ちできない男性なのだ。思わずギュッと目を瞑った。
その瞬間、唇に感触があった。温かい息の気配が間近でした。淳平の匂いがする。
そっと目を開けると、彼の顔が離れていくところだった。視線は合わない。表情は読み取れないが、雰囲気から察するに先程と変わらず険しいままに違いない。
鼻の奥がツンとしたが、もはや涙は出なかった。
