茜、そう呼ぼうとして、口を噤んだ。拓斗より早く茜が話し始めたからだ。

「神野さん、覚えてる?」
「え? あぁ、もちろん。まだタレントしてるんじゃなかった?」
「この前、友達からメールが回ってきたのよ。内緒で交際中だった恋人とついに結婚するみたい」
「へぇ。相手は?」
「それがね」

 茜は言葉の途中で区切り、クスクスと笑った。

「マネージャーなんだって。私さ、一回だけ会ったことがあるの。大学時代に。だから七年か八年越しの交際だと思うけど。小柄で小太りで、正直、マジ? って思った。だけどね」
「うん」

 茜の目がキラキラと輝き始めた。

「神野さん、ホントに好きみたいでね、うれしそうにカレの話をするの。あんなに外見とか気にして、周囲から羨ましがられることに命賭けてた人がさ。外見上ではけっして自慢できるカレシじゃないのに、大事にしてる感じで……こんな人だったんだって思ったの。というか、神野さんも普通の女の子じゃないって。そう思ったらうれしくなっちゃった。私さ、ずっと神野さんにコンプレックス抱いていたから」

「……そうだったね」
「タレント続けながら主婦って大変だと思うの。そのメール見て、自分が甘えていたって思ったの。だからバイトと主婦業、頑張ろうと思ってる」

 拓斗は胸に黒い雲が広がっていく様子を自覚した。

 勉強に必死だった。ガムシャラに勉強して、目的のものを手に入れた。

 医学の知識と、弁護士の資格。

 弁護士も就職難と言われているが、あっさり今の職場に入ることができた。大きな失敗もなく、順調に進んでいる。裁判では未だ黒星なしだ。

(だけど、大きなものを失くしていた)

 知らない間に茜は手の届かない世界へ行ってしまっていた。

 どれほど恋し、求めても、けっして手にすることはできない。

 どれほど努力しても。

 急に目の前が真っ暗になった気がした。