まだまだ学祭が続く校内では、呼び込む声や賑わう声が至る方面から聞こえてくる。

 そんな中で教室を抜け出した新と鞠は、昨日気まずい出来事が起こったあの講義室にいた。



「新くん、美化委員って……」
「ごめん……鞠と二人きりで話がしたくて」
「えっ」



 美化委員を口実に鞠をここへ連れ出したことを、新は申し訳なく思って謝る。
 しかし、例の噂について聞きたいことがあった鞠にとっては、絶好の機会でもあったのだが。
 先に話を始めたのは新の方で……。



「俺の噂、知ったんだよね?」
「あ……」
「それで距離置こうとしたんでしょ?」
「な、んで……」



 新の噂。それを鞠が把握していると知っているのは、同じ瞬間に話し声を聞いてしまった友人の梨田。
 そしてもう一人、鞠に直接それを伝えてきた北斗のみ。

 ずっと心配をかけてしまっていた梨田が、鞠に内緒のまま新本人に教えるとは思えず。
 かと言って、新に嫌悪感を示していた北斗が話すとも思わない。

 どうして知っているの?と言いたげな、不安な表情を浮かべる鞠。
 それに気づいた新は、鞠を視界に入れていると緊張してしまいそうだったから、顔を背けて話しはじめた。



「俺、キスってただ唇が触れ合うだけの作業だと思ってたんだ」
「……作業……?」



 他人の手と手が、満員電車で肩と肩が触れ合うような感覚と同じ。
 だから思春期の男女が憧れを持つキスについて、特別な考えなどなかったと話す。

 ファーストキスへの特別な夢を抱く鞠にとって、その思考は冷たく無機質なものに感じた。
 自分との価値観の違いを思い知らされたようで、胸にちくりと痛みが刺さる。



「だから、初めてされた告白を断った時に“キスしてくれたら諦める”って言われて、安易に承諾した」
「ッ……⁉︎」



 ここまでの話は、北斗から聞いた内容と一致する。

 何かの間違いかもしれないという僅かな希望が、もうすぐ絶たれようとしていた。
 ところが鞠の耳に届けられたのは、その僅かな希望だった。