────4月29日。

 アラームより早く目が覚めた。

(……不思議)

 昨日は眠くてまったく起きられる気配がなかったのに。

 記憶を取り戻した身体には、染み込んでいるのかもしれない。
 理人に対する防衛本能が。

「…………」

 ベッドから下りた私は、支度と朝食を早めに済ませた。

 部屋で鏡と向かい合い、身だしなみを整えていると、不意にスマホが着信音を響かせる。

 どくん、と心臓が跳ねた。理人だ。

『おはよう、今日は起きてる?』

「あ、い、今起きた!」

 どう答えるか悩んで、慌ててそう言った。

 理人には記憶のことを悟られないようにしなきゃいけない。

 いつもの私ならきっとこう答えるはずだ。

 くす、と電話口の向こうで彼が笑った。

『分かった。いつもの時間に迎えに行くからね』

「う、うん。ありがとう」

 通話を切る。
 ほんの短いやり取りなのに、ひどく緊張した。

(大丈夫だよね……?)

 バレてないよね?

 いつも通り、手のかかる駄目駄目な私だったよね?

 緊張で跳ねる心臓を抑えるように深く息をつく。

 そのとき、再びスマホが鳴った。

 今度はメッセージの通知音だ。

【大丈夫そうか?】

 向坂くんからだった。

 今度は別の意味で鼓動が速くなる。

 指先がキーボードの上で彷徨う。
 丁寧に言葉を選び、文字を打った。

【おはよう。大丈夫、今のところは特に何もないよ】

 ただメッセージでやり取りをしているだけなのに、不思議と笑みがこぼれてしまう。

 向坂くんと話していると、深刻に思い詰めなくていいから、気持ちが楽になるような気がした。

【そっか、でも気つけろよ】

【うん、ありがとう】



 頬を緩ませながら画面を眺めていると、いつの間にか時間が経っていた。

「菜乃、理人くん来てくれてるわよ」

 階下からお母さんに呼ばれ、はっとして立ち上がった。

 急いで階段を駆け下り「行ってきます!」と玄関を飛び出す。

 門の向こう側にいる理人は、ふわりと私に笑いかけた。

「そんなに慌てなくていいよ?」

「ううん、ごめん。待たせちゃって」

 前髪を整えつつ、理人の隣に並ぶ。

「さては二度寝したんでしょ」

「……えへへ、ばれた?」

 なんて苦く笑ったけれど、内心ほっとしていた。

 二度寝したわけではなかったけれど、結果的にそう思わせ、いつもの駄目な私を演出出来たのはラッキーだった。

 今のところ、理人には何ら疑われていないだろう。