狂愛メランコリー


「ううん、知らなかった。行ってみたいな」

「そう? よかった、じゃあそこにしようか」

 ひときわ優しい笑顔を向ける理人に、つい動揺してしまう。

(本当にわたし、殺されるんだよね……?)

 いまさらそんな疑問を抱いてしまうほど、今回の彼には余裕があって、不穏な気配を微塵(みじん)も感じさせない。



 バスを降りると、駅前広場に出た。

 木々やオブジェが並ぶ中、キッチンカーが1台停まっている。

「ねぇ、何か飲まない?」

 おもむろに、彼はキッチンカーを指しつつ尋ねる。

 飲みものならケーキ屋に行ってからでもあるはずなのにな、なんて思いながらも頷いた。

「うん、そうしよ」

 いまは理人の機嫌を損ねたくないし、彼の言う通りにしていよう。

「じゃあ、菜乃はそこ座って待ってて。買ってくるから」

 広場に設置されたベンチに促され、大人しく腰を下ろす。
 理人はそこに鞄を置くと、財布だけ手に取って離れていった。

 どくん、と心臓が音を立てる。
 ふいにチャンスが訪れた。

 彼の鞄とその後ろ姿をそれぞれ見比べて、慎重に鞄に手を伸ばした。

 ポケットや綺麗に整理された中身を素早く探ってみるけれど、わたしの腕時計は見当たらない。

(どこ……?)

 理人自身が肌身離さず持っているのかも。
 だとしたら、回収するのは絶望的だ。

 焦りながらふと目についたペンケースを開けたとき、見つけた。
 ピンク色のベルトに文字盤のストーン、紛れもなくわたしの腕時計だ。

 慌ててブレザーのポケットにねじ込むと、ペンケースを戻して鞄のファスナーを閉める。

 ばくばく跳ねる心臓を落ち着けるように、思わず深く息をつく。

 ちらりと理人の方を窺うと、ちょうど支払いを終えたタイミングだった。

(よかった……)

 ひとまず肝心の腕時計を取り返すことはできた。

 それとなくあたりを見回す。
 姿は見えないけれど、きっと向坂くんが近くにいるはず。

 人通りも多いし、まさかこんなところで殺されることもないだろう。