狂愛メランコリー


 教室へ戻る途中、廊下の先に彼の姿を見つけた。

 人が行き交う中、じっとわたしを見据えた向坂くんが迫りくる。

 反射的にあとずさるも、あえなく捕まってしまった。

「来い」

 昨日のように手を引かれ、教室から遠ざかるように階段の方へ連れていかれる。

「ち、ちょっと待って……。やだ!」

 渾身(こんしん)の力を込めて振り払った。
 恐怖からか、心臓がばくばくと早鐘(はやがね)を打つ。

「何でわたしに構うの? 何がしたいの?」

 怯えているのを必死で隠したものの、情けなくも声が震えてしまう。

「……いま、三澄は?」

 彼はわたしの問いを完全に無視して尋ねてきた。

「そんなこと、向坂くんには関係な────」

 思わず言葉が途切れる。
 向坂くんが手をもたげて、図らずも息をのむ。

 その手には腕時計があった。

 淡い紫色のベルトが特徴の華奢(きゃしゃ)なデザインで、一見して女性用だと分かる。

「なに……?」

「これに見覚えは?」

 真剣な表情で問われるけれど、それが何なのかまったく分からない。
 わたしは正直に首を左右に振る。

「おまえが────」

「……っ」

 向坂くんが一歩踏み込んできて、心臓が跳ねた。
 思わず身構えてしまいながら、顔を背けて身体を縮める。

 怖い。
 夢で見た光景が、ふいに脳裏(のうり)を掠めたのだ。

 向坂くんに殺される。

 あの夢はもしかしたら、そんな未来を予知したものだったのかもしれない。

「おい……」

「何してるの?」

 唐突に聞こえたその声に、はっとして振り向いた。

「理人……」

 みるみる安心感が広がって、身体の強張りがほどけていく。

 彼は向坂くんとわたしの間に立った。
 昨日と同じような構図だ。

 向坂くんはとっさに腕時計を背に隠した。

「菜乃に近づかないで、って言ったよね」

「おまえに従う義理はねぇよ」

「その方が身のためだと思うけどな、ストーカーくん」

「……あ?」

「昨日の帰り、僕たちをつけてたんでしょ。それで菜乃の家を特定して、近くにずっと潜んでた」

 向坂くんは答えなかったけれど、その沈黙が肯定を意味していることは明白だった。

 昨晩、窓から見た人影を思い出す。
 あれは、幻でも妄想でもなかったんだ。

「……だったら?」