狂愛メランコリー

     ◆



 こと切れた菜乃を見下ろして、はっと立ち上がった。

 思わずあとずさる。
 握り締めていた包丁を、怯んだように放り捨てた。

「菜乃……」

 ()()、だ。

 血まみれの手で頭を抱える。
 また、同じことを繰り返した。

(これで、何度目だ……?)

 自分自身に嫌気がさすも、頭は冷静に澄んでいた。

 横たわっている菜乃の傍らに屈むと、左手をそっと掴む。

「!」

 ぴくりとその指先が動いた。

 まだ、生きている。
 意識はないし、もう助からないだろうけれど。

 腕時計を外すと、強く握り締める。

『ありがとう、大事にするね……!』

 2年前の彼女の誕生日にプレゼントとして渡したとき、心から嬉しそうに言ってくれた。

 ────幸せだったはずの記憶が、褪せてひび割れていく。
 世界が朽ちて、枯れていく。

 床に膝をつくと、再び包丁を手に取った。

「……また会おうね、菜乃」

 そっと、色を失った唇に口づけた。

 毒林檎を食べたあとなら、あるいは目覚めてくれただろうか。

(なんてね……)

 握り直した包丁を、迷わず自身の心臓に突き立てた。



     ◇



 ────長い長い、悪夢を見ていたような気がする。

 ふいにけたたましい音が聞こえた。

「ん……」

 夢から(うつつ)へ、意識が明瞭化していくと、それはアラームの音だと気がついた。

 何だか頭が痛い。
 鳴り響くアラームがそれを助長させる。

 画面をタップして停止すると、ロック画面を見た。
 4月28日。午前7時半。

(もう少し……)

 再びうつらうつらとしたとき、今度は着信音が鳴った。
 布団から手を伸ばして応答する。

『菜乃、おはよう。起きてる?』

「理人……。起きてるよ」

『どうせまだベッドにいるんでしょ』

 からかうように笑う理人。

 どうして分かったんだろう、なんて思いながらあくびをする。

「理人が来るまで寝てる……」

『だーめ。遅刻するよ? 僕もう家出たから、そろそろ準備して』

「はーい……」

 気のない返事を返しつつ通話を終えると、ごろんと寝返りをうった。

 ぼんやり眠たくて、うとうと目を閉じてしまう────。



「……の、菜乃」

「ん……?」

「起きて、菜乃」

 うっすら目を開けると、ベッドの傍らに理人が屈み込んでいた。

 夢の終わり頃に遠く聞こえた彼の声は、幻聴ではなかったみたいだ。
 はっと慌てて起き上がる。