「そんなわけない……!」
「へぇ、そう。じゃあどうして?」
理人は首を傾げる。
色も温度もないその瞳を見るのは、何度目だろう。
「……ここへ来れば、わたしの知らない理人のことが分かると思って」
「ああ、それ口実じゃなかったんだ?」
彼は冷たくせせら笑う。
期待したわたしが浅はかだった。
ちゃんと話せば分かってもらえるかも、なんて。
わたしの口から本心を告げれば伝わるかも、なんて。
わたしの理人に対する気持ち、向坂くんへの想い、理人に頼らず“頑張りたい”って覚悟────。
「理人に分かって欲しかった」
じわ、と涙が滲んだ。
いまの彼に届くはずがないのに。
「……分かってないのは菜乃の方だよ」
短い沈黙が破られる。
不興そうに低めた声が鼓膜を揺らす。
「わたしが、分かってない……?」
「そうでしょ? だって、菜乃は僕のものなんだから」
「何を……」
「僕さえいれば十分なのに、何で分かってくれないかなぁ。どうしてあいつを選ぶの? どうして、僕を好きになってくれないの?」
彼は責めるように言い、眉頭に力を込めた。
「いつも。いつも……いつもいつもいつも!」
すっかり気圧されたわたしの瞳は、きっと不安定に揺らいでいると思う。
落ち着かない呼吸が震えた。
「こんなに菜乃のことが好きなのに」
いまさら怖気づいてしまい、逃げるように一歩あとずさる。
「昔からずっと、僕は菜乃だけを見てきたんだよ。菜乃だけを想ってきた。ずっと隣にいるために、菜乃が僕だけを頼ってくれるように、いろんなことをした」
「どういう、意味……?」
理人は包丁片手に柔らかく微笑む。
「でも、もうおしまい。今回の……いや、ここ数回のきみとはお別れだ」
妙な言い方だった。
まるで、次に目覚めたときには何も覚えていられないような────。
「!」
はっと息をのんだ。
もしかしたら、理人も記憶の法則に気づいたのかもしれない。



