「いや、ぁ……っ!」

 全身が鈍痛で疼いた。

 身体がちぎれるように、潰されるように痛い。

「…………」

 ため息をつき、頭を抱える。

 ……痛いのは、記憶が見せる錯覚。気のせいだ。

 私は、はたと顔を上げた。

「……覚えてる。よかった」

 ひどく疲弊し、憔悴していたが、記憶を失わなかったことだけが唯一喜ばしい事実だった。

 真っ先に、向坂くんのことが脳裏を過ぎった。

 スマホを手に取り、メッセージアプリを立ち上げる。

 友だちとして登録しているアカウント一覧の中に、彼の名前はなかった。

(あ……そっか)

 ロック画面を確かめる。日付は4月28日。

 巻き戻ったから、消えてしまったのだ。

(戻った……)

 ────一つの憶測が事実に変わる。

 “昨日”、私は電車に撥ねられて死んだ。

 理人に直接手を下されなくても、私が死にさえすれば時間は巻き戻るのだ。

 ループのトリガーは、私の死。

 そこまで考え、私はベッドから下りた。

 急いで支度を整え、理人が来る前に家を飛び出す。

 無性に、向坂くんに会いたい。

 これ以上は、一人で考えたくない。

 何だか心細くてたまらない。怖くて仕方がない。



 昇降口で靴を履き替え、辺りを見回した。

 向坂くんの姿はない。

 私は階段を上っていき、いつもの場所で彼を待っていることにした。

 午前8時10分、一つの足音が階段を上ってくる。

 段差に腰を下ろし、抱えた膝に突っ伏していた私は、はっとして立ち上がった。

「お前は────」

 最後の踊り場で足を止めた向坂くんが、上段にいる私を見上げ、やや瞠目する。

「向坂くん。私のこと覚えてる……?」

 心臓がどきどきした。彼の返答に緊張していた。

 やがて、静かに彼は言う。

「……いや」

 私の目を真っ直ぐ見つめたまま、向坂くんが短く答えた。

 悲しいけれど、以前ほどの落胆はなかった。

 今朝、昇降口に姿がなかった時点で、何となく察していたのかもしれない。

「でも、何か見たことあるな。あ、三澄の彼女だ?」

 階段を上りながら言い、どさりと腰を下ろす向坂くん。

 彼は続けた。

「ん? さっき、覚えてるかって聞いたか? ……俺らって知り合いだったっけ?」

 不思議そうな顔で眉を寄せ、首を傾げる。

 私はそっと、彼の隣に座った。

「……私、花宮菜乃。理人とは幼なじみだけど、彼女じゃないよ」

 向坂くんの目を見据えて告げる。

 堂々としていて意思の強そうな黒い瞳が、私の双眸を捉えている。

「向坂くん。私の話、聞いてくれない……?」