狂愛メランコリー


 呆気にとられるわたしに手を差し伸べてくれる。

「大丈夫か?」

「……うん」

 そっと彼に手を重ねると、その力を借りながら立ち上がる。

 何だか放心してしまって言葉が出ない。

「あーあ、だいぶ汚れちまってんな」

 向坂くんは土にまみれたわたしの制服を見て困ったように言う。

 それから、ふと黙って手を伸ばすと、わたしの頬に触れた。

「わっ」

「……ん、取れた」

 親指で土汚れを拭ってくれたみたいだ。
 突然のことに、心音が加速していく。

 態度も所作も荒っぽくて粗暴(そぼう)に見えるのに、触れた指先は労るように優しかった。

 ……向坂くんらしい。

「あ、ありがとう。助けてくれて」

 揺れる感情をひた隠しにして告げる。

「いや、俺は何もしてねぇよ。おまえが頑張ったんだろ」

 彼を捉えるわたしの瞳が、揺らいでいるのが自分でも分かった。

「言えんじゃん、ちゃんと」

 そこから見られていたんだと分かって、少し恥ずかしくなる。

 必死だったから、何を言ったのかもあまり定かじゃない。

「わたし、が……」

「ああ、よくやった」

 向坂くんが口端を持ち上げて笑った。

 いまになって、また視界が滲む。

 振り絞った勇気が実を結び、少しだけ自信に繋がった気がする。

 それは、紛れもなく向坂くんのお陰だ。
 彼がいたから、彼の言葉があったから、わたしは頑張れた。



 水道でハンカチを濡らし、スカートや肌についた土を拭っていく。
 ブレザーは向坂くんがはたいてくれていた。

「しっかし大変だな。女子の嫉妬ってやつは」

「でも、仕方ないの。あれが、理人のそばにいる代償だったから」

 苦く笑いながら言う。
 これまでは、そう思ってずっと耐え忍んできた。

「……三澄は気づいてねぇの?」

 ふいに真面目な顔になった向坂くんに尋ねられ、手を止めないまま答える。

「うーん、どうだろう。気づかれないように努力はしてたけど」

 理人に余計な心配をかけたくなかった。
 何より、それを理由に距離を置かれることになったらたまらない。

 だから、わたしひとりが我慢すればいいのだと自分に言い聞かせてきた。