狂愛メランコリー


「……スイートピーは、母さんが好きだった」

 てのひらに落ちた雪の結晶のような、小さな花びらのような、触れたら消えてしまいそうな儚い微笑。

 出会ったときと同じ顔をしている。

 その透明な表情の意味が分かった。スイートピーへの思い入れも。

「理人……」

 はっと彼に色が戻る。
 いつもの大人びた優しい微笑を浮かべた。

「ごめんね。何言ってるんだろう、僕────」

 わたしは思わず、一歩踏み込む。
 気づいたら彼を抱き締めていた。

 溶けて消えてしまわないよう、そっと、慎重に触れる。

「……大丈夫。大丈夫だよ」

 喉の奥が締めつけられ、声が震えそうになった。

 滲んだ涙が落ちてこないよう、きゅっと唇を噛み締める。

「菜乃……」

「わたしがずっと、理人のそばにいる」

 ただただ、潰れそうなくらい胸が苦しかった。
 放っておけない、と思った。

「だから、そんな顔しないで」

 そのときわたしが抱いていたのは、もしかしたら同情や哀れみといったとんだ傲慢(ごうまん)な感情だったかもしれない。

 だけど、告げた言葉に嘘はなかった。

 背伸びをした笑みなんて浮かべなくていい。
 等身大の理人でいい。

 せめてわたしといるときだけは、ありのままでいてくれたらいい。

 わたしは絶対に、ひとりぼっちになんてしないから。

「……ありがとう」

 噛み締めるように言った理人は、どこか遠慮がちにわたしを抱き締め返した。

 温もりが離れていかないか、確かめるみたいに不安そうで、わたしは“大丈夫”と何度も繰り返していた。

 ────その話はさすがに口にできなくて、自分の中だけに留めておくことにする。

 思えば、いつの間にか立場が逆転していた。

 最初はどちらかと言えば、理人の方がわたしを強く必要としていたのに。

 いまはわたしの方が、彼がいないとだめになっている。

 だけど、どちらにしても同じこと。
 わたしも理人も、お互いの存在を求めていた。
 お互いに依存していた。

 幼なじみという関係性の中で立場のちがいに苦しんだりもしたけれど、“離れる”という選択肢はなかった。

 彼の隣が窮屈になっても。
 あの秋の日の約束がなくても。