理人が現れたとき、いつもならすごくほっとするはずなのに。
「おわっ」
駆け下りた階段の踊り場で、ちょうど上ってきた誰かとぶつかりそうになる。
いまのわたしは、周りのことなんてまったく見えていなかった。
「ごめんなさい……っ」
慌てて謝ってそのまま通り過ぎようとしたものの、ふいに腕を掴まれた。
はっとして振り返る。
理人に追いつかれたのかと思ったけれど、幸い彼は追ってきていなかった。
「おい、大丈夫か? 泣いてんの?」
「向坂くん……!」
そう言われるまで、相手が彼だったことにも涙が浮かんでいたことにも気がつかなかった。
寒さにかじかんだようだった心が、ふわりとほどけていく。
何だかすごくほっとした。
「よかった、本当に。向坂くんのこと捜してたの。もう、何が何だか分かんなくて、わたし────」
「ちょっと待て。その前に……おまえ、誰?」
「え……?」
冗談を言っているとは思えなかった。
それくらいに真面目な表情をしていたし、何よりそんな無神経な冗談、彼が言うはずもない。
滲んでいた涙がみるみるおさまって、潮が引くみたいに体温が下がっていく。
「わたしだよ、花宮菜乃。忘れちゃったの……?」
そんなわけがない、と思いながらも訴えかけるようにその黒い双眸を覗き込む。
向坂くんは少し困惑したようにわたしを見返し、やがてゆっくりと首を左右に振った。
知らない、と言うように。
声をかけてくれたのは、わたしがあまりにもただならぬ雰囲気を醸し出していたからだったのかもしれない。
「…………」
開いた口が塞がらなかった。
揺らいだ瞳は瞬きすら忘れていた。
────ますます、わけが分からない。
向坂くんとは友だちになったはずだった。
わたしは確かに彼を知っている。
まさか、それも夢だったと言うの?
「何かよく分かんねぇけど、俺に用でもあんの?」
「……いい、大丈夫」
「なわけねぇだろ。行くぞ、場所変えようぜ」



