僕の心情なんて知る由もない菜乃は、すぐにその話題を切り上げた。
荒波が立つ本心をひた隠しに、僕はいつものように微笑んで首を傾げる。
「もうひとつ、言いたいことがあって」
秒読みが始まる。
僕たちの世界が崩れていく、絶望へのカウントダウン。
頬を赤らめた彼女は、幸せそうな笑顔をたたえた。
「わたし、好きな人ができたかも」
そう言うのだろうことは、あらかじめ分かっていた。
────昨日も今日も、向坂と随分親しげにしていた菜乃を見ていた。
その恋心に気づかない方がおかしい。
「……へぇ、そっか」
黒く焦げて、燃え尽きた心が灰になる。
余裕を失った僕は、微笑を保つ気力さえなくしていた。
すっかり舞い上がっている菜乃は、気づくことなく嬉しそうに笑っている。
天使みたいにかわいい。
純真できらきらした瞳も、癖のついたふわふわの髪も、僕を呼ぶ舌足らずな声も。
昔からずっと変わらない。
僕がいないと、何もできない。
僕だけを信じて頼ってくれる菜乃。
(……だったはずなのに)
世界が壊れていく。
また、僕のもとから菜乃がいなくなってしまう。
(また、失敗したんだ)
思わず自嘲するような笑いがこぼれた。
◇
「……菜乃。その“好きな人”って、向坂くんでしょ」
「えっ!?」
あまりに驚いて、素っ頓狂な声が出た。
「な、何で分かったの?」
またしても頬がじわじわと熱を帯びてきて、隠せないし誤魔化せない。
わたしってそんなに分かりやすいのかな。
どぎまぎしていると、ふっと理人が穏やかに笑った。
「そりゃ分かるよ。どれだけ一緒に過ごしてきたと思ってるの」
何だかテレパシーみたい。
ときどき、本当に心が読めるんじゃないかと思うほど理人は鋭いときがある。
思わず力が抜けて、照れたように笑って頷く。
「そう。わたし、向坂くんが好きみたい」
────ざぁ、と吹いた風が、夕方ののどかな空気を攫っていく。
わたしと理人の髪が揺れる。
「……ありえないよ」



