狂愛メランコリー


 階下からお母さんの声がした。
 いつの間にかそんな時間になっていたようだ。

 ややあって、ノックの音が響く。

「菜乃」

 ドア越しに理人の声がする。

 お母さんが招き入れたのだろう。こんなことはいままでにも何度もあって、珍しいことじゃない。

「まだ寝てるの? 遅刻しちゃうよ」

 苦く笑う彼の姿が容易に想像できる。
 わたしは頭まで布団を引き上げた。

「今日は行きたくない……」

「どうして? 体調でも悪いの?」

 寝不足なせいか、体調は確かによくない。

 でも、それより大きな理由がほかにある。

 理人は本当に分からないのだろうか。
 それとも、彼にとってはどうでもいいことなのだろうか。

「……向坂くんが怖いから」

 少し迷ってから、つい口にしてしまった。
 ドアの向こうが静かになる。

 理人の言うことをきかなかったから、怒ってしまったのかもしれない。

 ぴりぴりするような空気感を肌で感じながら、わたしはドア越しに彼を窺っていた。

「……入るよ」

 ややあって、そんな断りとともにドアが開き、彼が部屋へ踏み込んでくる。

 どさ、と捨てるように鞄が置かれた。

 わたしは布団に(くる)まったまま、思わず身体を起こす。
 明らかにいつもと様子がちがう。

 やっぱり、怒っているのかも。

「理人……」

 不安になって、探るように呼んだ。

 彼はベッドの傍らに腰を下ろし、わたしを見上げる。

 普段はわたしが見上げる側なため、この視点は新鮮なものだった。

(あ……)

 昨日の帰り道と同じ、温度のない微笑みが浮かんでいる。

「……()()失敗しちゃったみたい」

 言葉の意味が分からず、黙ってその瞳を見返す。

「菜乃はあいつの話しかしないし、あいつのことばっかり考えてるし」

「それは────」

「恐怖を与えすぎても、僕を見てくれなくなるんだね」

 理人はわたしの返事など、最初から待っていないようだった。

 わたしはただただ戸惑っていた。
 まったくもって話についていけない。

「“彼”に見られたのは誤算だったけど、利用できると思ったのに。……菜乃が僕だけを頼ってくれる、って」

「なに、言ってるの……?」