狂愛メランコリー


「え?」

 何を言っているのだろう、と窺えば、彼はその手にペティナイフを持って掲げた。

 一瞬、呼吸が止まる。

「永遠に、ってわけにはいかねぇけどな」

 素早く突きつけられたナイフの刃が首にあてがわれる。

 少しでも動けば無事では済まない。
 赤い切り傷が浮かび上がる様が容易に想像できた。

「な、なに……?」

 喉に張りつく声を絞り出すと細く震えた。

 ふっ、と向坂くんの瞳が(かげ)り、まともな色を失っていく。
 彼は口端を片方持ち上げ、不敵に微笑んだ。

「“昨日”はこれで滅多刺し、絞殺ももう試したし……()()()どうやって殺して欲しい?」

「向坂、く────」

「決ーめた。今日はこのまま頸動脈(けいどうみゃく)切ってやるよ」

 興がるように言って力を強めた。

 刃が少し肌に沈み込み、首に熱いような鋭い痛みが走る。
 思わず呻き、顔を歪めた。

「どうなるかな。間欠泉(かんけつせん)みたいに血が出たら面白ぇな」

 彼の豹変(ひょうへん)ぶりとナイフの痛みで、わたしの頭はすっかり冷静さを失った。

 何で、どうして、と駆け巡る疑問を隅に押しやり、生存本能が喚き散らす。

「……やだ!」

 ナイフを持つ腕を押し返し、その刃が少し遠ざかった隙に思いきり突き飛ばした。

 無理やり立ち上がると、慌てて階段を駆け下りていく。

「おい、待てよ!」

 すぐに後ろから彼が追ってきた。

 怒っているようなその声は迫力に満ちていて、怯むと足がすくみそうになる。

 それでも、首に残る痛みだけがわたしを突き動かした。
 必死で階段を駆け下りる。

「……っ」

 ふいに、ずる、と上靴の裏が段差と擦れて抵抗感が消えた。

 階段を踏み外したわたしはそのまま宙に投げ出される。
 急速に床が迫ってきて、息をのんだ。

(痛……っ!)

 何とか着地したものの、衝撃で割れるような痛みが脚に走った。
 崩れ落ちて踊り場に倒れ込む。

「……おい、逃げんなっつってんだろ」

 降ってきた声に、心臓を鷲掴みにされる。

(向坂くん……)

 彼はもったいぶるようにゆっくりと階段を下りてくる。
 愉しそうに口元を歪ませながら。

「どーせ、逃げ場なんかねぇけどな。この世界は俺のもんだから」