「……でも、もうお別れしないと」
そっと離れ、微笑みをたたえたまま彼は言う。
これから殺されると分かっていても、何ひとつとして怖くない。
十分すぎるほど心が満ち足りていた。
「壊したのは、僕だったね」
理人だけじゃない。
狂わせたのはわたしたち。
お互いが自分のためだけに繰り返していた。
「……ごめんね。僕がいると、きみが不幸になる」
ふ、と彼は顔を背けた。
幻想的で、儚くて、寂しげで、綺麗な横顔。透明な表情。
────何か、おかしい。
言い知れない違和感が募っていく。
「理人……?」
背を向けた彼にたまらず呼びかけた。
決然とした足取りで歩を進め、屋上のふちに立った彼は振り返る。
慈しむような眼差しを注いで、そっと微笑んだ。
「さよなら、菜乃」
一瞬の出来事だった。
背中から倒れていった理人が、目の前から消える。
「待……っ!」
思わず追いかけるように駆け出し、すぐに力が抜けた。
心臓が早鐘を打っていた。
不規則な呼吸が震える。
「花宮……!」
勢いよく開いた扉から、向坂くんが飛び出してきた。
どうしてここに、何で分かったの、なんて疑問は湧いても言葉にならなかった。
放心状態でその場にへたり込んでしまう。
「……っ」
「おい、大丈夫か? 何があった? 三澄は────」
弱々しく腕をもたげると、人差し指を屋上のふちに向ける。
先ほどまで理人がいたところに。
それだけで察してくれた彼は衝撃を受けたように息をのんだものの、すぐに表情を引き締める。
そっと立ち上がり、ふちから下を覗いた。
「!」
彼が事態を把握したのと、下の方から悲鳴が聞こえてきたのはほとんど同時だった。
直接目にする勇気はわたしにはないけれど、血の海に理人が沈んでいるのだろうことは分かる。
「わたし、も……」
そう呟いて、震える手を地面についた。
この結末だって、わたしが望んだのとはちがう。
こんなの嫌だ。理人には死んで欲しくない。
(わたしも死ななきゃ、早く)
もう一度、2日前に戻ってやり直さなきゃ。
次こそは、うまくやらなきゃ……。
「ばか! なに考えてんだ!」
我に返った向坂くんが振り向いた。
押さえ留めるように、強くわたしの両肩を掴む。
「いま死んだらもう戻れねぇだろ!!」



