「何でもない」


 ひとつの取っ掛かりもない、平坦な声。


「でも、手、使いにくそう」

「日原には関係ない」

「それはそうだけど――」


 明らかに会話を拒んでるニュアンスに、余計なこと聞いちゃったかなと思いつつもつい言葉を続けると、苛立たしげな舌打ちが上がった。


「――関係ないって言ってんだろ、鬱陶しいな」

「……!」


 棘だらけの声に言葉を失う。

 心底うんざりした表情。
 邪魔だと言わんばかりの態度は昨日縮まった(って勝手に思ってた)距離をあっと言う間に遠ざけて、のどに苦いものがひろがった。 


(――私、なれなれしくしちゃったかな)


 黒崎くんの意外な一面を見た、なんて一人で喜んで。
 

「しつこく聞いちゃってごめん。えっと、じゃあ何か困ることがあったら言ってね」

「……」

「手伝うから。傘のお礼」


 あわてて取りつくろった笑顔は自分でもわかるくらい無理があったけど、せめて笑っておかないと次に話す時にもっと気まずくなる。

 誰にだって聞かれたくないことはあるよね。

 落ち込みそうな心をなぐさめて、ためらいがちに会釈しようとした時。


「……別に、礼なんて」

「桂、何してんの?」


 ため息まじりの短い言葉と、明るい声が重なった。