声がつまったのは、嫌悪のせいじゃない。ただ、驚いただけで。

 あの日触れた額を想い出す、親が子どもと交わすような静かなくちづけ。

 突然のことにただ戸惑い、目を丸くするしかない私を見上げると、幸記くんは眉尻を下げた。


 親しげな表情だった。


「……しょっぱい」


 ささやかな笑みにかすれた語尾に合わせて、何かがぱたりと手の甲にこぼれる。


 初め、私はそれの正体がわからなかった。

 頬を、あごを伝ってしたたるもの。
 胸底に走るしびれも、喉をしめつける吐息もなくただ次々とあふえるそれ。



「泣いちゃだめだよ、桂さん」



 幸記くんが名前を呼ぶ。

 さっきよりも、もっと優しい声で。たとえ永遠に失われる日々でも笑っていたい、笑ってほしいのだと。


 言葉にならない思いをかみしめて、私はただ濡れた手をにぎりしめた。



 窓ガラスの向こうで、白い満月がうっすらと顔を見せはじめていた。