「ただ、一部が傷ついたからって全部駄目になるわけじゃない。特定の感情だけが失われることもあれば、逆に残ることもある」

「……」

「だから思うんだ。俺に手を上げる時、征一は心の底で怒りを感じているんじゃないかって」


 今ならわかる。

 なぜ黒崎くんがたくさんの本を読んでいたのか。人を避けるのに、人を知ろうとしていた理由が。


 黒崎くんは諦められなかったんだ。


 どうしようもない喪失、決して実を結ばないリハビリを、それでも諦めきれなくて解決策を探していた。


「征一は怪我をした時のことを覚えていない。でもどこかに記憶の断片が残っていて、俺を憎んでいるのかもしれない。発散せずにはいられない怒りがあるのかもしれないでも本人は自分の怒りを知覚できないから、ずっと笑ってるんだ」


 ひどい話だろ。
 皮肉な笑みが悔恨にかすれる。

 中庭の柱が、地面を横切って外廊下に細い影を落としていた。征一さんと女の子たちとを分かつように。


 胸に押し寄せる息苦しさを感じながら、私はゆっくり口を開いた。


「この前、幸記くんに会ったよ」


 手すりを握る手に力をこめる。

 背を刺す視線を感じながら見上げた空に、数日前のやりとりが重なった。