ちなみに、オーギュストは今そばにいない。もう数十年前のこととは言え、彼は騎士という身分でありながら王都から逃げ出した身だ。顔を覚えている者もいるだろうし、おいそれとこんな場所に顔は出せない。そしてリルルが精霊であることもどうもジェラルドは把握しているようで、「安心せよ。月の聖女と縁の深い存在をぞんざいに扱いはせん」と部下に命じ専用の獣舎に連れて行かせた。
 
 そういうわけでひとりとなってしまったセシリーが今彼とはぐれようものなら、宮殿内で迷ったあげく、二度と朝日を拝めないのではないか……そんな恐怖感を抱くのは無理もなかった。

「ま、待って下さい!」

 早足でとたとたと、焦ったように駆け寄るセシリーに王太子ジェラルドは苦笑する。

「なんだお前、まるで子犬のような顔をして……。そういうところは愛嬌があってよいぞ」
「や、止めてください!」

 彼は大きな手でセシリーの頭をわしわしと撫でる。まるでペット扱いにされ、セシリーはむくれそうになったが、相手は他ならぬこの国の次期国王なのだ。怒らせでもしたらと思うと、背筋が冷える。