「お嬢様ー!」

 遠くから呼ぶ声がして顔を向けると、簡素なドレスを着たふくよかな女性がこちらへやって来る。

「お嬢様、こちらにいらっしゃったのですね」
「マノン。そんなに急いで、なにかあったの?」

 息を切らした彼女に小首をかしげる。マノンはリリィが伯爵家からたったひとり連れてきた侍女だ。連れて来た、というよりも〝ついて来た〟の方が正確だ。
 リリィも『考え直した方がいいわ』と口では言っていたが、幼い頃からずっとそばにいて、母のように姉のように世話を焼いてくれる彼女の存在は心強く、結局突き放すことができなかった。

「なにかあったの? じゃございませんよ。黙っていなくならないでくださいませ」
坂の上とはいえ、敷地内じゃないの。そうは思ったが口には出さない。そんなことをしたら、間違いなく長いお説教が始まってしまう。

「そしてまた! お帽子も被らないで陽の下にいらっしゃるなんて……ああっ、お肌が真っ赤じゃないですか! せっかくのお(ぐし)もこんなにぐしゃぐしゃに」

 マノンはリリィのひとつ編みにされた長い髪を手早く整えると、手に持っている帽子を頭に被せた。

「重い……。マノンのと交換したいわ」

 全体にレースの装飾のついたボンネットは、農作業には不向きだ。あちこちに引っかかったりするし、装飾がついている分重量もある。

「なにをおっしゃってらっしゃるんですか。使用人と同じものをベルナール家のご令嬢が身に着けるなんてもってのほかでございます」
「もう誰も気に留めやしないのに」

 ぼそっと口から漏れたらマノンが一気に眉を跳ね上げた。

「誰が気にするとか気にしないとかではございません。そんじょそこらのご令嬢では太刀打ちできない美貌と気品を、このようなひなびた山奥で枯らしてしまうなんてもったいない」
「枯らしてって……」

 花や樹木のような言われようだが、マノンは至って真剣な顔つきだ。