俺は国語の授業で聞き手と話し手とを決めるのに使われた、先端に色をつけられた棒をもてあそびながら、本棚の前でうんうんうなって迷っている天使を眺めた。

 「ロマンス小説って、途中つらいことがあってもまずハッピーエンドだから安心して読めるよね」

 「そうだね」

 コメディっぽかったのに重い話だったのって、なんていう作品なんだろう。

 「何作かぶりにシンシア・ローズ読もうかなあ」

 「やっぱりシンシアはいいよ」と俺は、まるで彼女の友達みたいに、彼女の作品をひとつ残さず読んだかのような口ぶりで答える。

 「シンシア作品はほんとうに、はずれがない」

 「特に好きな作品は?」

 「ええ……難しいなあ……。全部?」

 「ええ……? 意地悪……」と唇をとがらせるのが半端じゃなくかわいい。

 「試し読みはいかがです、姫?」

 「汚すわけにいかないし……」

 「莉央につけられたものならなんであっても汚れじゃない」

 「夜ごはんがからあげの日に、リビングで読んでるかもよ? すごい油くさくなって戻ってくるよ」

 「ああ、夕飯揚げものだったんだあって幸せな気分になる」

 ふふ、と笑う天使につられて俺も笑った。

 「ちょっと読んでみてもいい?」

 「うん、いくらでも」

 天使はそれでもしばらく迷ってから、一冊抜き出した。そしてテーブルの向こう側につくと、そっと表紙を開く。

 家でもこんなふうに読んでるのかな、と思うと、たまらなくいとおしくなる。

 上唇が下唇に気持ちかぶさった、小さな口。がらす玉みたいな目が文を追う間に、そのかわいらしいおちょぼ口が時折動く。しばらく読んでいくと、その口角がふにゃっと持ちあがる。

 ああ、かわいい。目に焼きつけておけば、このかわいい姿を夢でも見られるかな。

 時折かわいい唇からこぼれる「ふふっ」という声に胸の奥が苦しいほどきゅっとなる。きゅんきゅんという表現がふさわしいような。

 こんなかわいい人がこんなかわいい口でものを食べていたら、『おいしい?』と聞きたくなる。こんなかわいい人がこんなきれいな目でこちらを見ていたら、授業中であろうと『かわいい』といいたくなる。口の動きだけで、そうと伝わるかはわからなくても。

 口の中で、莉央、という音を転がす。

 莉央、りお、リオ……。

 こんなに素敵な、いとおしい名前はほかにない。胸が甘くも苦しくなる魔法がかかった名前。

 ああ、莉央、莉央……大好き。