部活のため、すぐ隣の小さなグラウンドにいくと、「あっ、雪森だ」と声があがった。あの男の、声。

 「よお、青柳……」

 体は小さいくせに、体力はほとんど無限にあるような男。こいつは決して悪いやつじゃない。むしろいいやつだ。だからこそ、俺にこうして嫉妬されている。

 「早くグラウンドきれいにしておかないと、また先輩たち怖いよ?」

 「ああ……」

 「雪森って、楽しそうだからって野球はじめたんだよね」と青柳。

 「今、楽しい?」

 俺はテントの中のベンチのそばにかばんを置いた。ベンチの上は先輩のかばんを待っている。

 「まあ、そこそこ」

 「うそだ。先輩たち厳しすぎて、あんまり楽しくないはず」

 俺はちょっと笑ってごまかす。たしかに先輩たちはちょっと、楽しむことを忘れている感じがある。

 「で、青柳はなんのために野球やってんの」

 「んー? まあ、やっぱりプロとかなりたいじゃん?」

 「え、プロ目指してんの?」

 俺は思わず相手の目を見た。

 「僕、お兄ちゃんがふたりいるんだけどね、みんな好きなことやってるんだよ。

一番上のお兄ちゃんは、ラーメンが大好きで、もうほんと、周りから見てると怖いくらい好きで、ラーメン屋さんを開けるようにって頑張ってて。

すぐ上のお兄ちゃんは歌うことが大好きで、友達とユニット組んで、ネットに動画アップしたり、たまにおっきな公園とか、ちょっとした広場なんかでも歌ってるんだ。

僕、ふたりのことが大好きなんだよ。ちょっと変わってるところもあるけど、でもやさしくてかっこいい。だから、僕もふたりみたいになりたいんだよ。でも僕はお兄ちゃんほど、ラーメンも歌うことも好きじゃない。唯一、僕がお兄ちゃんのラーメンと歌に張り合えるくらい好きなものが、野球なんだ」

 「……なんで、そんなに?」

 「ちっちゃいころ、よくお父さんがキャッチボールしてくれたんだ。ちょっと変な匂いする、かたくてでっかい手袋(、、)をつけて、ね。

そのうちにバットも買ってくれて、お父さんが打ち飛ばしたのを僕が拾うっていうのをやるようになった。すごいんだよ、バットで打つと、投げるのとは全然違う勢いでボールが飛んでいくんだ!

僕はそのボールより先に、ボールが飛んでいくところに走りたくなった。最初は難しかったよ、僕が想像したところとは全然違うほうにボールは飛んでいく。でも悔しくて楽しくてつづけてると、ちょっとづつボールが飛んでいくところを読めるようになった。そうしたらもう病みつきになっちゃって。

気づいたらお父さんの投げてくれるボールを打つようになってて、小学校にあがったころには、野球のクラブに入ってた。キャッチボールからはじまったから、キャッチャーやりたかったんだけど……」

 雪森にとられちゃった、と青柳はおとなしそうに笑う。

 青柳がプロを目指しているなんて、はじめて知った。

 そうか、プロを目指していれば、部活にも必死になる。先輩たちも、楽しいからとかちょっとした思い出作りなんて気持ちじゃなくて、きっかけは違ったとしても、青柳みたいにプロを目指しているのかもしれない。

 熱苦しいと、もっと楽しむべきだと嫌がるのは、間違っているかもしれない。