雪森——皐月くんは、あのあと教室に戻ると、堂々と桃原さんに頭をさげた。
「どういう風の吹き回しかしら?」と腕を組む桃原さんに、皐月くんはただ「悪かった」といった。
「なんのつもり?」という桃原さんに、教室の一部から、「よくわかんないけど謝ってるならよくない?」という声があがった。「桃原って前からああいうところあるよね」と。小野さんや今泉さんもその中にいた。
そのまま、皐月くんは秋野さんにも頭をさげた。「いいよ、べつに」と秋野さんはいった。それからふふっといたずらっぽく笑うと、「これであんたもあたしと同じぶすってことで」とつづけた。
テーブルの上に、三十ページも読まずに挫折したといっていた文庫本が置いてあった。ジェイン・オースティン、『高慢と偏見』。
「読みはじめたの?」と聞いてみると、「今なら結構読めるよ」と皐月くんは笑った。
テーブルをはさんで座って、なんとなくもじもじとする。
「皐月くん、って呼ぶの、……慣れない……」
「“くん”なんかつけてるからじゃない?」
「そ、そんなわけない……!」
皐月くんは楽しそうに笑う。「かわいいね」といって。
「と、ところで、秋野さんと桃原さんって……全然、雰囲気違うよね」
「秋野のほうがまだ素直だよね」
「秋野さんは、ほんとうは皐月くんと仲よくしたかったんだと思う」
「俺はごめんだね」
「皐月くんと仲直りすることで、許されたかったんだと思うの」
「俺は神様じゃない」
「それでも、たぶん皐月くんが唯一、叱ってくれた人でしょ? その人と仲よく、普通の同級生として、友達として過ごせることで、許されたって感じるって、そういう期待をしてたんじゃないかと思うの」
「莉央はやさしいね」
かあっと、顔が熱くなる。
莉央。りお。皐月くんの声が呼んでくれるたび、自分の名前がいとおしくなる。
「秋野はさ、たしかに、ちょっと後悔してた。ただなんとなく気に入らないってだけでひどいことをした、ばかみたいだって、俺が水かけたあと、ちょっとしてからいってた」
あいつが自分からしゃべったわけじゃないけどね、と皐月くんはいう。
「俺が問いただしたんだ、なんであんなことしたのかって。秋野にだけじゃない、桃原にも聞いた。でも桃原は、うざいからっていうだけだった。ばかでかわいくもないくせに甘やかされてるのがきもいしうざいって」
「その人って——]
倉田さんって——
「そんな人だったの?」
「まさか。あいつのいう“ばか”は勉強ができないことだけど、倉田はほんとうに頭のいい人だったよ。だから受験があるような中学にいったんだ」
「桃原さんは、どうしてそんなに倉田さんにこだわったんだろう……」
「コンプレックスの塊なんだろうね」と皐月くんは呆れたようにいう。
「自分に自信がないから、誰かをいじめて自分が強いんだと思おうとする。それか、自分が持ってるコンプレックスを誰かに押しつけようとしてるんだ」
「なんで桃原さんほどの人が、そんなコンプレックスなんて……」
「あいつほどコンプレックスが似合うやつもいないよ。あんなんで自信を持たれても困る」
「そんな……」
「あんなやつとは関わらないことだよ。そしてこの部屋に、あんなやつの名前を立ち入らせないこと」
おいで、といわれて、わたしは腰をあげて、皐月くんのそばにいった。座り直すと、そのままきゅっと抱きしめられる。
「かわいい」
「……重くない?」
「うん。ふわふわであったかくて幸せ」
「恥ずかしくて気が狂いそう……」
ふわふわって、結局ふとってるってことでしょ……?
「ああかわいい。莉央の匂い……」
「だ、だから嗅がないで……!」
「いい匂いだよ?」
なんかすんすんと音がする。
「あっ、こら、くんくんしない……!」
ほんとう、雪森くんって変わってる。
「どういう風の吹き回しかしら?」と腕を組む桃原さんに、皐月くんはただ「悪かった」といった。
「なんのつもり?」という桃原さんに、教室の一部から、「よくわかんないけど謝ってるならよくない?」という声があがった。「桃原って前からああいうところあるよね」と。小野さんや今泉さんもその中にいた。
そのまま、皐月くんは秋野さんにも頭をさげた。「いいよ、べつに」と秋野さんはいった。それからふふっといたずらっぽく笑うと、「これであんたもあたしと同じぶすってことで」とつづけた。
テーブルの上に、三十ページも読まずに挫折したといっていた文庫本が置いてあった。ジェイン・オースティン、『高慢と偏見』。
「読みはじめたの?」と聞いてみると、「今なら結構読めるよ」と皐月くんは笑った。
テーブルをはさんで座って、なんとなくもじもじとする。
「皐月くん、って呼ぶの、……慣れない……」
「“くん”なんかつけてるからじゃない?」
「そ、そんなわけない……!」
皐月くんは楽しそうに笑う。「かわいいね」といって。
「と、ところで、秋野さんと桃原さんって……全然、雰囲気違うよね」
「秋野のほうがまだ素直だよね」
「秋野さんは、ほんとうは皐月くんと仲よくしたかったんだと思う」
「俺はごめんだね」
「皐月くんと仲直りすることで、許されたかったんだと思うの」
「俺は神様じゃない」
「それでも、たぶん皐月くんが唯一、叱ってくれた人でしょ? その人と仲よく、普通の同級生として、友達として過ごせることで、許されたって感じるって、そういう期待をしてたんじゃないかと思うの」
「莉央はやさしいね」
かあっと、顔が熱くなる。
莉央。りお。皐月くんの声が呼んでくれるたび、自分の名前がいとおしくなる。
「秋野はさ、たしかに、ちょっと後悔してた。ただなんとなく気に入らないってだけでひどいことをした、ばかみたいだって、俺が水かけたあと、ちょっとしてからいってた」
あいつが自分からしゃべったわけじゃないけどね、と皐月くんはいう。
「俺が問いただしたんだ、なんであんなことしたのかって。秋野にだけじゃない、桃原にも聞いた。でも桃原は、うざいからっていうだけだった。ばかでかわいくもないくせに甘やかされてるのがきもいしうざいって」
「その人って——]
倉田さんって——
「そんな人だったの?」
「まさか。あいつのいう“ばか”は勉強ができないことだけど、倉田はほんとうに頭のいい人だったよ。だから受験があるような中学にいったんだ」
「桃原さんは、どうしてそんなに倉田さんにこだわったんだろう……」
「コンプレックスの塊なんだろうね」と皐月くんは呆れたようにいう。
「自分に自信がないから、誰かをいじめて自分が強いんだと思おうとする。それか、自分が持ってるコンプレックスを誰かに押しつけようとしてるんだ」
「なんで桃原さんほどの人が、そんなコンプレックスなんて……」
「あいつほどコンプレックスが似合うやつもいないよ。あんなんで自信を持たれても困る」
「そんな……」
「あんなやつとは関わらないことだよ。そしてこの部屋に、あんなやつの名前を立ち入らせないこと」
おいで、といわれて、わたしは腰をあげて、皐月くんのそばにいった。座り直すと、そのままきゅっと抱きしめられる。
「かわいい」
「……重くない?」
「うん。ふわふわであったかくて幸せ」
「恥ずかしくて気が狂いそう……」
ふわふわって、結局ふとってるってことでしょ……?
「ああかわいい。莉央の匂い……」
「だ、だから嗅がないで……!」
「いい匂いだよ?」
なんかすんすんと音がする。
「あっ、こら、くんくんしない……!」
ほんとう、雪森くんって変わってる。



