「それからというもの、桃原と秋野がその女子の名前をあげてることが増えました。しかも、そのあとには決まって『うざい』『わかる』ってつづく。これはちょっとやばいなと思いました。二対一ってだけでもひどいのに、二を相手にする一は、すごいおとなしい人なんです。

その女子に直接助けを求められたわけじゃありません、桃原とか秋野に、あいつうざいよねって、直接……意見っていうか、同感っていうか、そういうのを求められたわけじゃありません。でも、とても放っておくなんてこと、できなかったんです。

イライラしながら、桃原と秋野を、あの女子を、三人を見守りました。裏でこそこそいわれてるだけであってくれと願いながら、そんなことで済んでないってわかってもいて、なんかやるなら早くやれって、ひどいことを願う、待ち望む自分もいました。

一回その現場に会えれば、二度と同じことをさせないっていう、変な使命感っていうか、自信っていうか、そういうのがぐちゃぐちゃになった、でも抑えられない気持ちでした。

でも俺は神様じゃないから全部を見ていることはできない。俺はヒーローじゃないから、ちょうどいいときにその場に現れるっていうこともできない。

俺と三人をよく知った、意地悪な誰かが、笑ってるみたいでした。何回も、桃原と秋野が、その女子に汚い言葉を吐き捨てるところに遭遇しました。そんなところばっかりに! あいつらは、そうしたあと、……」

 雪森くんは荒くなってきた声を飲みこんで、天井を仰いだ。深呼吸した。それからゆっくり、顔を前に向ける。

 「桃原と秋野は、そうしたあと……決まって笑うんです。笑って、どこかにいくんです。へらへら歩いていくこともあれば、ほんのちょっとだけ罪悪感でも感じてるみたいに走っていくこともありました。

俺は必死で、その女子を見ました。あいつらを追うことはできない、だってちゃんと、最初から最後まで、そこまでとはいわないまでも、大事なところを見てないから、聞いてないから!

だから俺はその女子を見た。その女子を見て、自分を落ち着かせた。この人は俺よりずっとつらいんだ、俺みたいに暴れることもできないんだって、必死に、呪文みたいに、そういう作業があるみたいに、心の中で繰り返した。

まだだ、まだだ。確実なところに入っていって、あいつらに自分のやってることを教えてやる。そのためには今、これを爆発させちゃいけない。まだだ、まだだ……落ち着け、キレるな。

それからそんなに経ってないころだ、あのふたりがあの女子に迫ってるのを見た。やっぱり昼休みだ。体が勝手に動いた。昇降口の掃除に使うバケツに水をくんだ。水を入れすぎて、あいつらに近づいていく間、何回もこぼした。その音に、あいつらは気づかなかった。

そして声が聞こえてきた。『ちょっと先生に好かれてるからって調子にのらないでよね、ほんとはそんなに勉強できないくせに』『かわいくもないくせに。まじで調子にのりすぎ、ほんときもい』

気づいたら、水が散らばる音がした。桃原と秋野がずぶ濡れになってた。近くに低学年を相手にしてた先生がいたみたいで、すぐに駆け寄ってきた。なにも知らない先生は俺を叱った。謝りなさいともいった。

でも俺は謝らなかった、だってあんなやつら、水をかけるだけじゃなにも足りない! しかもずいぶん暑い日のことですよ、真冬にバケツいっぱいの氷水をかけたわけでもない。

でもなにも知らない先生は認めてくれなかった。まあ当然ですよね、なんでこんなことしたのって聞かれて、むかついたからって答えたんですから。謝りなさい謝りなさいっていわれて、俺はそれを終わらせるために、それはもういいかげんに、頭をさげました。なにもいわずに」