新しい掃除場所である多目的室へ向かう途中、「いやーだあーねえー」と雪森くんの声が聞こえて、思わず足を止めた。

 「ぶすは生まれたときからずーっとぶす。なにがあろうと変わりはしない」

 「いきなり他人に水をぶっかけるそのばかな頭もきっと、生まれたときからずーっと変わりはしないんでしょうね」

 あおるような雪森くんの声に返ったのは、桃原さんの声。

 「ああ、怖い怖い。これだからぶすは怖い。自分がなんで水をかぶったかもわかってないんだ。ああ嫌だ、寒気がする、へどが出る。化け物じみたぶすが見えるもんで怖いだろうけどね、ちょっとは鏡を見たほうがいいよ」

 「あたしはぶすじゃない」

 「美人ではねえだろうよ」

 「あたしは美人だと思う」

 「ずいぶんとまあ心の広い世界に生きてるんだな。でもこの世界じゃおまえが美人ならぶすはいない」

 「ばか森はずいぶんとぶすを毛嫌いするけど、あたしはぶすよりばかのほうがよっぽど罪だと思う」

 「たしかにばかもぶすと同罪だよ、自分の醜さに気づかず自分を美人だとかなんとかとのたまうんだからまったく恐ろしい」

 「自己紹介かしら?」

 「ははーん、どういたしまして、俺は一度たりとも自分を美人だなどといったことはない」

 「でもぶすである自覚はないようで?」

 「それと同じくらい美人の自覚もない」

 ……そ、壮絶な罵り合い……。

 「残念だけど俺にはおまえをあわれむ良心はないよ。そして今、おまえを正しい道へ導いてやろうという気持ちもすっかり失せた。まあ、互いに視界に入らないよう努力しようじゃねえか」

 「はっ、あんたと同じ目的を持つなんてごめんだわ」

 「じゃあなんだ、おまえは俺を絶えず視界に入れながら、自らも俺の視界に入ろうっていうのか。あーあ、なんてむだな時間の過ごしかただろう!」

 「引きずりおろしてやるの。意識の中に大っ嫌いな存在がいるっていう地獄に」

 「ほええ、それはまあ結構な心意気で。でももったいないね、俺は地獄から手を伸ばして届くような場所にはいない」

 「天国にでもいると?」

 「ご名答、百点満点だね。そうだよ、俺は天国にいる。美しい天使と一緒にね」

 「ふんっ、呪われた堕天使が天使と一緒に天国に? それは幻じゃなくて、おばかさん? あんたのいるところはきっと地獄。その天使だって羽をもがれた堕天使に違いな——」

 桃原さんの声がぱったりと止んだ。ちらとのぞけば、雪森くんが桃原さんの背中を壁に押しつけていた。雪森くんの表情はこちらからは見えないけれど、桃原さんの表情は怯えているように見える。

 「俺のことはなんとでもいえばいい。でもあの天使を貶すようなことは、視界の外でわめくぶすだろうと二度とさせない」

 「ふっ……ばかみたい。紺谷、とかいったっけ、あのでぶ。ずいぶん気に入ってるね、ほんとにあのでぶが好きなの、ばか森?」

 地を這うような低い声で、短くも恐ろしい言葉が聞こえてきた。

 「てめえに浴びせるのがいつまでも水だと思うなよ、ぶす」

 「へっ、怖……。おっきい声出してもいいんだよ? 先生も女子も男子も、みんなここに集まる。あんたの脅迫じみたセリフも、間に受けたふりして大げさに話して回ってもいい」

 「俺が嫌いなのは嘘だ。俺の言葉をてめえがどう受け取ったかは知らない」

 「ほんとにやるよ。なんでそんなに冷静なの」

 雪森くんはあくまで冷静だった。

 「取り消すつもりでしゃべってないし、行動してない」