ねえ紺谷、と雪森くんはわたしを呼んだ。

 「紺谷。こっち向いて」

 何度もあくびをしたみたいな、くしゃみを必死で止めたみたいな目で、わたしは雪森くんを見た。

 「俺はね、恋愛小説って、かっこいい男がいるから好きなんだ」

 「かっこいい……?」

 「もちろん、ろくでもないやつも中にはいるけどさ。ヒロインはなんでこんなやつがいいのって思うような。でもほとんど、ヒーローっていいやつで、ヒロインを幸せにする。

ヒロインにむちゃなことは求めないで、呼吸の深さも歩幅もヒロインに合わせてくれる。少なくともそう努力してる。でもたまに努力が追いつかないところがあって、ヒロインとくだらないいい合いをしたりして、読み手を笑わせてくれる。

俺はね、そういう男になりたいんだ。はじめはおもしろい小説が読みたくて手を出したジャンルだけど、今は理想と憧れの人間像のカタログみたいな感じで読んでる。

俺はヒーローになりたい。美しくておもしろみがある、限りなく完璧に近い男。大好きな人を海より深く愛して、山より大きな存在として見あげて、神様みたいに(あが)めて尊敬して」

 雪森くんは、悲しそうにつらそうに笑って、ゆるゆると首を横にふる。

 「でも、俺はヒーローじゃない。ヒーローにはなれない。紺谷に誰も近づけたくないし、……今すぐにでも、紺谷の気持ちが知りたい」

 「わたしの、……気持ち……」

 「紺谷が嫌なら——」

 「嫌なわけない!」と思わず叫んでいた。

 「嫌じゃない。嫌じゃないよ。自分を卑下してるのは雪森くんのほうだよ。わたしは雪森くんと一緒にいて楽しいよ。いろんな本について、もっと話したい。雪森くんの理想のヒーロー像も知りたい。

わたしが嫌なのは、雪森くんと仲よくなるたびに大きくなる、周りの人たちの声。でも——」

 でも、そんな、自分と雪森くんのどっちを守りたくて嫌うのか、自分でもよくわからないことより——

 「それ以上に、そんなことより、……雪森くんと一緒にいられないほうが、……雪森くんと話ができないことのほうが、嫌だ……」

 ぎゅっと体にあたたかい腕が巻きついて、それでやっと雪森くんが移動していたことに気がついて、自分がどれだけ感情的になっていたかに気がついた。

 「好き。……好きだよ、紺谷」

 家族以外の人の腕の中ははじめてで、どうしていいかわからないまま、「うん」と答える。

 「紺谷のヒーローになりたい」という熱い声に、もう一度「うん」と答える。なんとなく、正しい答えかたがわかった気がする。

 「……雪森くんの、……ヒロインになりたい」